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僕は今、東京大学付属病院で研修医として働いている。昨年から働き始めたのだが、今回の連載では、「研修医がぶち当たる壁」というテーマで僕自身の経験と考察について語っていきたいと思う。が、その前に簡単な自己紹介を。

1988年に開業医の息子として生まれた僕は、福岡県の大牟田市で育った。僕の生まれ故郷は元炭鉱の町。その後中高6年間を鹿児島のラ・サールで過ごし、東京大学医学部を経て、医師国家資格を取得した。

研修医1年目にぶつかった壁

2013年4月、僕は茨城の病院で研修医として働き始めた。たいして忙しかったわけでもないのだが、初めて訪れる地で初めて働き始めるという環境はかなりストレスフルだった。5月のGW休みに風邪を引いてしまい、一日家で何もせずに寝ていたとき、「あー、4月は自分なりに頑張って働いていたんだな」と実感した。

研修医になって初めてぶち当たった壁は何だろうか?

一言で言うならば、「何をしていいかわからない」という壁だ。うちの病院はオリエンテーションが短かったので、4月3日には研修医として3名ほどの患者さんを担当することになった。そこでこの壁にぶつかった。「え、僕はいったい何をしたらいいの?」

研修医の仕事とは?

では研修医の仕事とは何だろうか?

新人研修医は基本的に数名の入院患者さんを担当として受け持つ。その人の病気がまだわかっていなければ、診察や検査を通じてその患者さんが何の病気なのかを調べていく。これが「診断」という行為だ。

入院患者さんであれば入院時に診断されていることも多く、「診断」の後には「治療」を行っていく。薬剤、点滴、安静、絶食、人工呼吸器、カテーテルという血管内に細い管を通す治療、あるいは手術など。

「治療」と並行して行っていくのが、治療の「評価」。日々の全身状態や血圧・脈拍数などのバイタル、血液検査、X線やCTなどの画像所見で、「その治療が効いているかどうか」、「そもそも診断名が合っているのかどうか」、「副作用や合併症が出てきていないか」を評価していく。必要があれば治療を追加したり、変更したり、やめてみたり。それで良くなれば退院、長いリハビリ等が必要であれば他の病院に転院していく。

まだまだ分かりにくいと思うので、研修医のより実際の業務を説明するならば、

  • 日々の診察
  • 検査のオーダーや実施、それらの評価
  • カルテ書き
  • 患者さんへの説明
  • その他書類業務
  • といったところだろうか。

4月になって働き始めた途端こういったことをやらなければいけないのだが、学生時代に不勉強だった当時の僕は、一体何をやっていいのやら全然わからなかった。

研修医1年目の壁を振り返る

それから一年以上が経ち、当時の状況、研修医の置かれている立場について考えてみたのだが、僕の戸惑いには新社会人共通のものもあれば、医者の世界ならではのものがあるんだなと気づいた。今回は、社会人共通のものから見ていく。

答えが、ない

特に医学部の場合、最終学年で国家試験勉強というイベントが待ち構えている。医師国家試験はセンター試験のような選択肢問題で、「一つの答えが存在している」という発想から成り立っている。大学受験勉強しかり、「答えがある」という世界で勝ち抜いてきた僕からすれば、「唯一の答えがない」、「検査や治療のやり方なんて医者個々人によって全然違う」という環境に適応するのが、ただただ辛かった。

例えばよく遭遇する肺炎の治療にしても、抗生剤の選択、使用量、治療期間は医師によりけりだ。ガイドラインに従ったところで、「この抗生剤を選択して、この量を、これらの検査値の基準を満たしたら治療終了する」という唯一解があるわけではない。様々な曖昧さや幅を残しながら、総合的に判断、決断を重ねていく。

 視点と思考体系をインストールする必要がある

どんな業界、どんな会社だって独自の思考体系を持っている。医療の中でも病院によって、診療科によってルールが違う。ある医師に習ったことを実践したら、他の医師から怒号が飛んでくることなんて日常茶飯事だ。

例えば集中治療科の医師であれば、この人を今、あるいはこの24時間生かすためにはどうしたらいいかという視点で物事を考える。糖尿病・代謝内科の医師であれば、どうすればその患者さんが退院した後も血糖値を上手くコントロール出来て、数年後の合併症を予防出来るかという視点を持っている。脳外科の医師であれば些細な意識状態の変化や神経の所見に敏感で、わずかな対応の遅れが致命的になってしまうこともある。同じ医師でも注目する身体の部位、所見、治療の時間軸が違う中、新しい研修医の僕は医師一般の「視点」と、そこからどのような評価を下して決断して行くかという「思考体系」を身につけるのに難儀した。

ちょうど今保健所で研修をしているのだが、ここでも「視点」、「思考体系」のギャップを感じた。「軽度外傷性能損傷 Mild Traumatic Brain injury」という疾患についてリサーチしろと指示された。

医師の視点であれば

定義、診断基準、診断方法、症状、原因、機序、治療法

を調べ始める。でも保健所の視点になれば、診断基準や診断方法を詳細に調べるよりも、原因や症状を分かりやすく簡潔にまとめる方が大切で、さらに

「どういう病院に行けばいいのか」

「どういう相談機関が利用出来るのか」

「どういう補償を受けることが出来るのか」

といった情報がより大切になってくる。この違いをなかなか理解できなくて、何度もダメ出しされてしまった。

この例は「医師の視点」と「保健所の視点」の違いなので皆さんにも分かりやすいのだが、これと同じくらいの視点の違いが、同じ医師であっても診療科間、病院間に存在しているのだ。

まとめ

これらのことは、今になって振り返ってみれば全部当たり前のこと。でも、働き始めの僕にとってはなかなか会得できないものだった。こういった考察をしながら、働くことで学べることは本当に多いんだなと振り返っている。