前回は、胃ろうと社会的要因について紹介しました。
「胃ろう」をめぐる臨床現場の現実と課題(上) ~胃ろうをつけますか?つけませんか?~
今回は別の問題と解決方法の提案です。
胃ろうの目的のひとつは
- 飲み込むと誤嚥し、肺炎を起こす
- 飲み込む事が出来ず栄養がとれないため生命に危険がある
これらを打破することです。その苦痛を取る事にメリットがあるので行うわけです。
ところが、
認知症の患者さんでは
- 胃ろうをつけてもその後の寿命は延びない
- 胃ろうをつけてもその後の誤嚥性肺炎の確率は変わらない
(Murphy LM, Lipman TO. Arch Intern Med 2003)
さらには
- 認知症患者では胃瘻を作った後の寿命が短い
(Sanders DS, et al. American Journal of Gastroenterology 2000)
といった報告があります。先に挙げた胃ろうのメリットが全否定されています。
消化器内科医になることを決めた頃、私は出張先の病院で胃ろうを造った患者さんの経過をまとめて学会で報告するよう指示されました。
上記の報告は医師には有名で、発表はとても嫌でした。「発表に何の意味があるんですか」と口答えした記憶もあります。指示を出された先生は「臨床では良くなる人も確実にいるんだよ」と繰り返されます。
発表は決まっており質問には私が答えなくてはなりません。これらの論文もしっかりと読みました。過去の患者さんのカルテを全て出して経過を調べました。
すると色々気づく事がありました。
欧米の報告と比べて日本での報告では胃ろうを造ってからの平均生存日数が長い。
以下は当時の報告と自分たちの結果です。
Author | 雑誌名、報告年 | 症例数 | 平均生存日数 |
松原ら | 日消誌, 2005 | 178 | 337日 |
高橋ら | 香川県内科医会誌, 2005 | 143 | 543日 |
自験例 | 100 | 533日 | |
Rabeneck | J. Gen. Intern. Med , 1996 | 7,369 | 225日 |
Grant | JAMA, 1998 | 81,105 | 造設後1年時点での 生存率は37.0% |
日本からの報告は欧米の報告と比べて圧倒的に症例数が少ないのですが、日本では長期生存が期待できそうです。
個々の患者さんで経過が異なる。
個々の患者さんの経過を調べると、
- 肺炎で繰り返し入院していたが、胃ろうを造ってからは肺炎が減った方。
- 長期生存している方。
- 褥そう(床ずれ)が劇的によくなった方。
がいることが分かりました。
一方で、
- 胃ろうを造っている最中に亡くなった方。
- 造って数日で亡くなった方。
- 肺炎を繰り返し、中心静脈栄養となった方。
もいました。
胃ろうを造ってから30日以内の死亡率は上記の報告によれば3.3~32.8%です。
もともと嚥下機能が失われ栄養状態の悪い患者さんに行うので、「簡単に造る事ができる」といっても患者さんの受ける負担は大きいものと考えられます。
やはり手放しで勧めるわけにはいきません。
しかし、
先の論文では「認知症があると長期生存できない」という結論でしたが、認知症がある人でも長期生存している方もいます。
この実際の患者さんの経過との差は何か。研究ではグループとして比較しており、臨床は個々をみていることにあると思われます。
比較を目的とした多くの医学系の臨床研究では、他の要因の影響を避けるために、比べる項目以外は同じ条件にします。
「認知症の患者さんでは生存日数が少ない」という論文であれば、「認知症がある患者」と「認知症が無い患者」に分けて比較がされています。それ以外の項目、年齢や性別などは極力揃えます。認知症の有無以外はそろった各グループで平均生存日数の差を比較するわけです。
他の項目をそろえるには多くの患者さんのデータが必要です。多くの患者さんのデータを集めた検証結果は、信憑性も高いと言えます。
しかし、少し考えてみます。
「認知症のある患者さん」グループの生存日数とは平均の生存日数であって、全員がその日で亡くなったわけではありません。認知症があっても長生きした患者さんもいるはずです。
こうした論文は各項目についての危険性を教えてくれます。ただ、当然ですがその項目を持っている患者さん全員が同じような経過になるとは限りません。こうした論文だけでは個々の患者さんについて判断することは難しく、臨床の現場では時に大きな悩みの種となります。
認知症がある。平均すればその後の経過は悪いらしい。ただ良い経過をたどる人もいるし、即死する人もいる。逆も同じです。認知症はない。経過は良さそうだ。だけど、あなたが良い経過となるか即死するかは分からない。そのどちらに入るのかは「やってみないと分かりません」。という事です。
胃ろうをつくるガイドラインには
「胃ろう造設後4週以上生存が見込まれる患者」
という項目があります(日本内視鏡学会卒後教育委員会PEGガイドライン案)。
ですが、これを事前に知る方法はありません。医師は過去の報告や経験から推測しています。それを数値で表す事は難しい。発表を指示された先生も臨床経験の中、具体的に示したいと感じていらしたのでしょう。
これらを客観的に知る事ができればと思うようになりました。
一つの案として

その後私は大学で「人工知能を用いた医療予測」の研究に携わりました。人工ニューラルネットワークという方法を主に用いています。詳細は省きますが、人が勉強してテストに臨むように、過去の患者さんの経過を学習させることで新しい患者さんの将来の経過を予測できるようになります。この技術で胃ろうのデータを解析しました。
胃ろうを造る前のいくつかの項目から、個々の患者さんの経過を予測してみると、以下の結果が得られました。
- ○生存期間を高い確率で3段階(経過不良、中間、経過良好)に予測可能。
- ○胃ろうを造った後に肺炎になるか否かを89%の確率で予測可能。
(Takayama T et al. EJGH 2009)
特に生存期間については
「経過不良と予測」されたのに「実際に経過良好」であった患者さんは一人もいませんでした。
逆に、
「経過良好と予測」されたのに「実際には経過不良」であった患者さんも一人もいませんでした。
この方法を用いれば、
「経過良好」、「肺炎は発症しない」
と予測されれば胃ろうを造るメリットが大きそうです。
一方
「経過不良」、「肺炎を発症する」
と予測されると胃ろうを造ってもデメリットが大きそうであり、別の方法を検討してもよさそうです。
私達の予測ツールは100例のデータに基づいています。「100例のデータで解析する」というのは臨床研究として規模は大きくありません。しかし、過去に胃ろうを行った100人の誰の経過に近いのかと考えるとどうでしょう。「予測」という言葉を用いていますが、過去の患者さんのデータをもとに、新規の患者さんが誰に近いかを検討しているとも言えます。
精度を上げるには生存日数に強く影響している項目を見つける必要があります。熟練の臨床医が普段メリットデメリットを判断するポイントを検証する事が重要です。また、より規模が大きくなれば信頼度は上がっていきます。
現在NPO法人PEGドクターズネットワークという胃ろうに関する全国規模の組織との共同研究が開始され、全国1000例の患者さんのデータをもとにした新たな予測ツールの開発を試みています。
こうした予測ツールの結果に従う必要性はありません。胃ろうを造るときには社会的要因も大きく関与します。個々の患者さん、取り巻く環境によっても大きく選択結果は変わるでしょう。その時に、患者さんのメリットの一部の判断材料となれば、よりよい選択ができるのではないかと考えています。
医療にベストな選択はほぼありません。ベターと思われる方法を選択していく必要性があります。映画「レナードの朝」ではレナードが未来の患者さんの為にと、セイヤー医師に「学べ、今の俺を記録して学べ!」と叫ぶシーンがあります。
患者さんのカルテは時に「宝」と称されます。私達医師には過去の患者さんのデータに学び、それを将来の患者さんにとって有用な判断につなげる務めがあります。現在我々の開発したツールが他のいくつかの疾患についても使用可能となっています(http://www.yosokuiken.com)。こうしたツールがその一助となればと願っています。