ボツリヌス療法は非常に効果のある治療法として期待されているものの、そこにはリハビリテーションの継続という前提が欠かせません。
東京都保健医療公社荏原病院リハビリテーション科では、治療の前後に医師・理学療法士・作業療法士によるカンファレンスを設けるなど、医師と療法士の連携を強化することで患者さんのモチベーション維持・向上に努めています。
同病院ではさらに、自分たちの病院にくる患者さんだけではなく、地域の潜在的な患者さんにもボツリヌス療法を届けていくことを目指しています。今回は、こうした取り組みのひとつとして開催されている地域の療法士などの医療介護関連職種を対象とした勉強会「J-BATTERY seminar」を取材させていただきました。
地域の痙縮患者を救うプロジェクト「J-BATTERY seminar」
J-BATTERYは、荏原病院リハビリテーション科の医師、理学療法士・作業療法士、義肢装具士などで構成される有志のチームです。
ロゴには群青の文字で「J-BATTERY」と記され、エレキマークのついた注射器が日本地図上、荏原病院の位置を指し示しています。BATTERYは、Botox and Hybrid Therapy Team of Ebara hospital Rehabilitation Youngstersの略であり、
- J-BATTERYの「J」は、Japanの「J」。日本を代表するボツリヌス療法を行うチームに成長しよう。
- ボツリヌス療法に理学療法、作業療法、電気治療、装具療法などいろいろな治療法を組み合わせ、チームで共有しながら質の高い医療を提供しよう(Botox and Hybrid Therapy)。
- いつまでも1年目のときのようにやる気に満ち、探究心をもっていこう(Rehabilitation Youngsters)。
- 「電池」による電力供給のように患者さんに生きる活力を与える存在になろう、医師・療法士・患者さんが、「野球の投手・捕手」のように阿吽の呼吸で連携しようという2つの意味(BATTERY)。
といった思いが込められているそうです。
J-BATTERY seminarは、地域の痙縮患者さんを救うプロジェクトとして、荏原病院での取り組みを地域で活動する医療介護関連職種にも共有することを目的として、J-BATTERYが開催しているセミナーです。第5回目を迎えた今回のJ-BATTERY seminarでは、作業療法士による上肢痙縮に対するボツリヌス療法にスポットがあてられました。
「ボツリヌス療法」に対する医療者の問題意識
写真:荏原病院リハビリテーション科作業療法室
午後の診療時間が終わり院内も静かになった頃、J-BATTERY seminarの参加者が続々と集まってきました。参加者の多くは、脳・神経の病気によりからだが不自由になった患者さんのリハビリテーションなどを担当する理学療法士、作業療法士などです。平日の夜にもかかわらず、会場である荏原病院リハビリテーション科作業療法室は満席となりました。
ボツリヌス療法は、脳卒中などの後遺症のひとつである上下肢痙縮に対する治療法のひとつです。非常に効果のある治療法として期待され、メディアで取り上げられるなど注目されましたが、一方で治療を中断してしまう患者さんもいます。
治療を中断してしまう原因はさまざまですが、なかでも治療の効果を実感できないことから治療に対するモチベーションを保てないというケースが少なくないといいます。長期間の積み重ねが成果につながるリハビリテーションでは、患者さんのモチベーション維持は切実な問題です。同病院リハビリテーション科でも、こうした状況は大きな課題でした。
治療を行う医師やスタッフの間にも「本来はもっと効果のある治療法であるはずなのになぜだろう?」「自分たちのやり方に、工夫の余地があるのではないか?」という疑問が浮上しました。そのような中、「この状況を打開するために行動したい!」というスタッフの声が起爆剤となり、J-BATTERYが発足しました。これをきっかけに、リハビリテーションまで見据えた治療計画を作成するなど、治療体制の見直しを行いました。
取り組みは功を奏し、ボツリヌス療法を希望して同病院に訪れる患者さんが増加するなどの成果を出しています。明確な治療の目標を決めることで、患者さんにとってもスタッフにとってもモチベーションの向上に繋がりました。
「痙縮」治療、療法士に求められていること
J-BATTERY seminarの参加者にも、「患者さんが治療の効果を実感できないでいることを打開したい」「よりボツリヌス療法を効果的に活用する方法を模索したい」と考える方々がたくさんいます。
チームで行うボツリヌス療法では、医師と療法士がそれぞれの立場から患者さんの状態を評価し、意見を出し合いながら治療計画を検討、実行していきます。療法士には、専門知識を活かした症状の分析や患者さんとのコミュニケーションなど、医師が十分にカバーしきれなかった分まで患者さんの情報を集めることが求められています。
治療の前提として「痙縮かどうか」の判別は非常に重要です。ボツリヌス療法が保険適用となるには「上下肢痙縮」と診断された場合にかぎられるうえ、有効な治療計画を立て、さらにそれを実行していくには、治療前に患者さんの状態をできるかぎり正確に把握する必要があるためです。しかし、「痙縮かどうか」の判別は難しい作業です。
ひとつには、レントゲンやCTなどによる画像診断ができないことがあげられます。脳のどの部位の損傷が痙縮を発生させるのか、病気により神経や筋肉に具体的にどんな変化が起こることで痙縮が発生するのか、すべてのメカニズムがわかっているわけではありません。
もうひとつは、患者さんによって症状のあらわれ方が異なるためです。病気により脳が障害されると、筋肉を動かそうとする刺激が過剰となり、その結果痙縮の症状が出ると考えられています。しかし、脳、神経、筋肉のはたらきは非常に複雑です。立っているときにだけ症状が出る場合、動きではなく姿勢の異常が出る場合などさまざまです。
このように、つかみづらい「痙縮」という症状をより正確に判断するため、療法士には知識と経験が必要とされています。「こんな症状の場合には、これを試してみた」「このケースでは、こう判断した」といった情報共有をすることで、それぞれの知識と経験を共有し合うことが、セミナーの狙いのひとつでもあります。
会場では、スライドに実際のリハビリテーションの様子を写しながら、患者さんの訴えた症状(腕が曲がってしまう・腕が上がらず洋服が着づらい…など)、それに対する療法士の仮説(〇〇という筋肉が緊張している・姿勢が影響している…など)と検証(横になった状態や座った状態、立ち上がった状態など姿勢を変えて同じ動作を試してみる・使用する評価方法を変えてみる…など)、評価をもとに行ったリハビリテーションメニューとその経過が発表されました。
治療による効果を持続させるための工夫
ボツリヌス療法は、ボツリヌス毒素を注射することで緊張した筋肉を緩ませる治療です。ボツリヌス療法の効果が持続するのは3~4ヶ月程度とされており、患者さんは3~4ヶ月おきにボツリヌス療法を行うのが一般的です。この期間には個人差があるものの、ボツリヌス療法による効果持続期間を長持ちさせる鍵がリハビリテーションにあります。
効果持続期間中にしっかりとリハビリテーションに取り組むことで、ボツリヌス療法の効果が長持ちするだけではなく、ある程度の効果を維持しつつ治療を展開していけることがわかってきています。
脳卒中後のリハビリテーションでは、決めた課題を何度も繰り返し行うことが重要です。課題の繰り返しのためには、病院でリハビリテーションの指導を受けている時間だけではなく、家でも自主トレーニングに取り組めることが理想です。
荏原病院の場合でも、ボツリヌス療法後の3週間~1ヶ月間は入院期間を設けてリハビリテーションを行いますが、退院後から次回の治療までの約2~3ヶ月間は患者さん自身に委ねられます。そこで、患者さんが自宅に戻った後も自主トレーニングがしやすいよう工夫をしています。
まず設定する課題は、患者さんの日常生活に不可欠の動作や趣味活動などで使用する動作に関連付けたものを選びます。日常動作にリハビリテーションを兼ねることで、自主トレーニングに対する動機づけができ、自主トレーニングを行うことへのハードルを下げることも可能です。課題をクリアすることができれば、設定する課題を毎回少しずつすすめていくことにもつながります。
例えば料理が好きな患者さんであれば、長期的な目標を「カレーをつくって食べること」に設定します。最初の課題は「スプーンを使ってごはんを食べる」からスタートし、「介助箸を使ってごはんを食べる」…と、少しずつ目標に近づけていきます。
また、動作をする際の余計な負担を取り除くことで、課題の反復がしやすくなる場合もあります。写真の「スパイダースプリント」は、つながったワイヤーが指を吊るように支えることで、指を動かすときの負担を軽減するしくみです。
写真:スパイダースプリント。
他にも、手の握りを補助する部分と割り箸を組み合わせてつくったパソコンタイピング用のオリジナル自助具などが紹介されました。
このように、患者さんの症状や生活、仕事などにあった自助具をスタッフが作製することもあるようです。
セミナー終了後には、参加者の方が実際にこうしたスプリントを手に取り、装着しながら、講演者が使い方を紹介していました。
編集後記
ボツリヌス療法はリハビリテーションと組み合わせてこそ、その効果を最大限に引き出すことができる治療法です。患者さんが前向きに、継続してリハビリテーションに取り組んでいけるよう、療法士の方々は日々尽力しています。
J-BATTERYではさらに、「地域チームボツリヌス療法手帳」(地域の病院と荏原病院の療法士どうしの連絡手帳。詳しくは「患者さんもチームの一員。ボツリヌス療法後もリハビリテーション継続を」を参照。)の導入や、今回のようなセミナーの開催をすることで、地域連携を強化する取り組みを行っています。J-BATTERY seminarは、12月上旬に次回開催の予定です。(詳しくは荏原病院リハビリテーション科ホームページよりご確認ください。)