※写真は、荏原病院リハビリテーション科の理学療法室。
『脳卒中治療ガイドライン 2015』(以下「ガイドライン」)では、上下肢の痙縮に対する治療法として推奨グレードA(一番高い評価)と記載されている「ボツリヌス療法」。推奨度は、その治療法の安全性や効果などによって評価がついていることから、非常に期待度の高い治療法であることがわかります。
今回は、このボツリヌス療法に取り組んでいる東京都保健医療公社荏原病院リハビリテーション科の尾花正義先生と理学療法士、作業療法士のみなさんに、お話を伺いました。
上下肢の痙縮に対するボツリヌス療法がどんな治療法であるのか、知らない方も少なくないと思います。そこで、取材記事の第一回は、ボツリヌス療法という治療の概要について解説します。
誰にでもリスクのある脳卒中とその後遺症
年間約29万人が発症していると推計される脳卒中(日本生活習慣病予防協会より)。治療技術の進歩のおかげで脳卒中により死亡する方は減少傾向にある一方、その後遺症により治療・リハビリテーションを必要としている方が多くいます。
そんな脳卒中の後遺症のひとつに「痙縮」と呼ばれる症状があります。脳卒中で脳が傷つくことで、筋肉の収縮を抑制させる命令が低下し、その結果、筋肉が常に緊張状態となります。
手足に症状が出た場合には「上下肢痙縮」といわれ、「手足のつっぱり」とも表現される症状により、日常生活に支障をきたすこともあります。次のような症状は、痙縮によるものかもしれません。
- 腕や手首、膝が曲がったまま動かない
- 脚がつっぱり曲げることができない
- 手を握ったまま動かすことができない
こうした痙縮に対し、ガイドラインには抗痙縮剤の内服や運動点あるいは神経ブロックなどの治療法が記載されています。その中のひとつが「ボツリヌス療法」です。
治療に「毒」を使う!?ボツリヌス毒素とは
はちみつによる乳児ボツリヌス症やボツリヌス中毒などでも知られるように、ボツリヌス毒素はボツリヌス菌という細菌の出す毒(ボツリヌストキシンというたんぱく質)です。「毒を治療に使うの!?」と驚かれる方もいるかもしれませんが、この毒の効果を利用した治療法です。
ボツリヌス毒素は、神経と筋肉が接している部分(神経筋接合部)にはたらき、神経から筋肉への情報伝達を遮断することで、筋肉を弛緩させる(緩める)効果があります。上下肢痙縮の治療では、緊張状態にある筋肉に対しボツリヌス毒素を注射することで、筋肉の緊張をゆるめて「つっぱり」の症状を軽減させることができるのです。
国内で初めて保険適応となったのは1996年、眼瞼痙攣の治療です。現在では、保険適応外である美容医療分野での使用(シワのばしの注射など)や保険適応であるわきが(腋窩多汗症)、片側顔面痙攣など、医療の現場で幅広く用いられています。
上下肢痙縮へのボツリヌス療法。期待の理由とは?
ボツリヌス療法は、「上肢痙縮・下肢痙縮(あわせて「上下肢痙縮」)」の治療法として、2010年10月に保険適応となりました。痙縮自体は脳卒中以外にも、脳性麻痺、頭部外傷、低酸素脳症、脊髄損傷などさまざまな原因があります。
ガイドラインによれば、脳卒中を原因とした上下肢痙縮に対して、ボツリヌス療法は推奨グレードA(行うよう強く勧められる)とされています。この推奨グレードは、治療の効果や安全性を考慮しながら設定されており、こうした記載からも、安全かつ非常に効果の期待できる治療法であることがわかります。
高額な治療法であるため、保険制度のない国では治療実施自体が難しいこともありますが、海外でも非常に評価の高い治療法とされています。
治療法としての特徴は「可逆性」
ボツリヌス療法の大きな特徴として「可逆性がある」という点があげられます。
筋肉に注射されたボツリヌス毒素は、神経と筋肉が接している神経筋接合部という部分で、神経伝達物質の分泌を妨げることで、神経から筋肉への情報伝達を遮断します。しかし神経には側芽(そくが)といって、使えなくなったルートとは別の新しいルートをつなげて情報伝達を行おうとするはたらきがあります。
そのため、注射の効果が持続する期間はこの神経側芽との関係から3~4ヶ月程度とされています。1回のみの治療ではなく、必要に応じて反復治療をしながら少しずつ注射する部位を変え、治療する範囲をひろげていきます。効果を見ながら治療を進めていくことのできる点では、安全性の高い治療法であるといえます。
「ボツリヌス療法」がかかえる課題とは?
治療として期待度の高いボツリヌス療法ですが、一方で、まだまだ課題もかかえています。
治療の普及を妨げる原因のひとつは、高額な医療費です。平成30年の薬価改定により薬価は大幅に引き下げられたものの、それでもなお高額な治療であることには変わりありません。しかし、いたずらに薬価を引き下げることは、製薬企業の適切な資金回収を妨げ、長い目で見て、日本国内の患者さんが不利益を被ることも危惧されます。
ボツリヌス療法が今後、健全に普及・発展してくためには、患者さんに確かな治療効果を実感してもらう必要があります。
積み上げ効果で、少しずつでも変化を
※写真は、荏原病院リハビリテーション科の作業療法室。
医師・尾花先生は、「(身体機能を)維持するだけでは進歩がない。そんな治療はナンセンス」と断言します。
患者さんの中には、「この治療はいったいいつ終わるの?」という疑問を投げかける方もいるようです。高い医療費に加え、ボツリヌス注射の効果は永続するものではありません。いまひとつ治療の効果を実感することができずに治療へのモチベーションが下がり、治療を中断してしまう方もいます。
しかし一方で、ボツリヌス療法を受けている患者さんの中には、本来の持続期間である3~4ヶ月を過ぎても効果が続く方もいます。効果を実感できる方・実感できない方の違いはどこにあるのでしょうか?
ここで重要になってくるのがリハビリテーションです。
ボツリヌス療法は、リハビリテーションと組み合わせて行うことで、その効果をより長く持続できるようになる可能性があるといいます。積み上げ効果により少しずつでも変化させることができるのであれば、患者さんに目標を示し、目標に向かってリハビリテーションを行うことも可能です。
そして、ボツリヌス療法とリハビリテーションの組み合わせ治療で、重要な役割を果たすのが、理学療法士や作業療法士、義肢装具士といった専門職なのです。
編集後記
ボツリヌス療法は、2010年に上下肢痙縮の治療法として保険適応となりました。より長く注射の効果を持続させ、患者さんのQOL(生活の質)改善に貢献するため、リハビリテーションが重要になってきます。リハビリテーションを行ううえでは、医師以外の専門職の協力が欠かせません。
次回の記事では、さまざまな職種が関わりながら「チーム」で取り組むボツリヌス療法について紹介したいと思います。