「虫歯の治療をしたけど被せ物がしっくりこない」、「歯が痛くて歯医者に行ったけど、まだ痛みがある」…。こういった症状がみられたら、必ず口の中に問題があると思うでしょう。ところが、こうした症状を覚える方の中には、歯科医から「特に口の中に問題はない」という、想像していなかった診断をされる方がいます。
症状は確かに感じるけれど原因がはっきりしない場合、「歯科心身症」という疾患を発症している可能性があります。では、この歯科心身症とはどんな病気で、どう治療すればよいのでしょうか。30年近く治療に当たっている東京医科歯科大学の豊福明先生にお伺いしました。2回でお伝えします。1回目は歯科心身症の症状や原因についてです。
歯科心身症は口内の自覚症状はあっても、検査では引っかからない
――歯科心身症とはどういったものなのでしょうか。
歯科心身症の定義は学会(日本歯科心身医学会)でもいまだ厳密に規定されておりませんが、簡単に言えば「口の不定愁訴」で、「レントゲンや血液検査など通常行われる検査をしても引っかからないのに、患者さんの(口内の)自覚症状だけがずっと続く」ことです。
――歯科心身症の患者さんはどのくらいの割合でいらっしゃるのでしょうか。
市中のクリニックと大学病院とでは大きな差があるようで、患者さんのまとまったデータは残念ながらありません。大学病院の口腔外科では全体の10-15%程度といわれています。当科だけのデータでも、年間5-600人の新患さんがいらっしゃいました。
抜髄(歯の神経を抜くこと)した患者さんの中の10人に1人(が歯科心身症)というデータもあるのですが、実感として、それは多すぎかなという気がしています。
――精神疾患の患者さんも歯の痛みや噛み合わせの違和感などを訴えると聞きました。
精神科に入院するような患者さんではごく稀のようです。患者さんの歯の症状が歯科医師が診て説明がつかず、かつ精神科医から診て「うつ病などの精神疾患からくるもの」と判断されれば、歯科心身症という病名はつきません。当科に来られる患者さんで、精神疾患による症状と考えられるケースは2割ほどを占めています。
ただ、「精神疾患は治っていても口内の症状だけ残っている」という、精神疾患と歯科心身症が並存しているケースもあります。どちらも画像検査や血液検査で診断されるものではないので、どうしてもグレーな部分は出てくるかと思います。
――歯科心身症で問題となる点はどんなところでしょうか。
歯科心身症の症状として、以下のようなものが挙げられます。
- 原因不明の歯の痛み(非定型歯痛)
- 噛み合わせが気になる(咬合異常感)
- 味がおかしい(味覚障害)
- 舌が痛い(舌痛症)
- 口が乾く(ドライマウス)
- 口内がベタベタする(口腔異常感症)
歯科心身症の場合は、これらの症状が一般的に行われる歯の治療では治らないという問題があります。また歯を削るなど通常の治療を行っても、自覚症状が隣の歯に移動するなど広がってしまい、かえって悪化してしまうことがあります。
――歯科心身症の原因はわかっているのでしょうか。
神経伝達物質※1の障害や脳(の連合野)で情報を処理する過程でエラーが生じることなどを原因とした、口腔の感覚認知※2のゆがみが仮説として挙げられています。しかし、様々な原因が混じりあって症状が現れるという説もあります。
実際に、神経伝達物質の働きを調節する薬を投与しただけで治る人もいれば、それだけでは治らない人もいます。歯科心身症は虫歯のようにばい菌で歯が溶けて、というようなシンプルな原因で起こるものではありません。
原因を究明する上で、ヒントになる論文が最近発表されました。その論文では、患者さんの治療前と投薬して回復した後それぞれのタイミングで脳の画像検査をしてみたところ、治療前よりも治療後の方が脳の活動のバランスが良くなっていることが報告されていました。今後はこの結果を生かしながら研究が進められていくかと思います。
※1…情報を伝達するために脳内の神経細胞同士を行きかう化学物質。
※2…口の中の感覚情報が脳に伝わり、「今、自分の口がどうなっているのか」を認識すること。
中高年女性に多く、きっかけは何かしら口の中を治療してもらった後が多い
――歯科心身症はどういった方に多いのでしょうか。
中高年の女性に多く、この傾向は世界中のデータを見ても一致しています。当科では時間をかけて患者さんに生活状況など細かいことも聞いておりますが、患者さんは波乱万丈の人生ではなく、比較的落ち着いた暮らしを送ってこられた方がほとんどです。家庭のことで揉めてたりはない印象で、来院時にご家族が付き添う方も大勢いらっしゃいます。
そして、歯の治療をした後に症状を訴える方が多いです。例えば「痛みが取れない」とか、「余計な痛みが出てきた」とか、「被せ物をしてから噛み合わせがしっくりこない」などです。一方で、心当たりがあるようなことが何もないのに症状が出る方もいます。
――治療後に症状を訴える方の場合、その患者さんが何か特別な治療を受けたから、ということではないのでしょうか。
虫歯や矯正、インプラント治療だけでなく、歯石取りや知覚過敏の薬の塗布といった些細なことでも起こりえます。とにかく、何かしら口の中を治療してもらった後に発症する方が多いです。
――子供で発症する方はいるのでしょうか。
子供が発症したという報告は珍しく、早くて20代からです。恐らく子供の場合、乳歯から永久歯に生え変わるなど口内環境がドラスティック(劇的)に変化する時期で、脳も柔軟で、噛み合わせの感覚も固まっていないからだと思います。
――歯科心身症の患者さんが陥りやすい思考や行動にはどういったことがありますか。
一番多いのは「歯が悪いのではないか」とこだわってしまうことです。
特に噛み合わせに違和感を覚えている場合は、「(原因となる)歯を外してもらえばよくなる」という考えが根強いです。そのために入れ歯や仮歯をいっぱい作っては着けて外してを繰り返したり、問題ない歯を削ってもらったりします。後は「診てくれた歯医者が下手なのでは」と、歯科医の技術的な問題を原因だと思うこともあります。
また、なかなか厄介なことに歯の治療後にそれまで元気だった体全体に不調が出たと訴えるケースや、もともと体に不定愁訴を抱えていた方が、治療後さらにその症状を悪化させるケースもみられます。これまで診てきた患者さんの中には、歯の調整をしたところ、首が極端に曲がった姿勢でしか歩けなくなってしまったという方もいました。
――治療する側の歯科医として、歯に問題がなくても治療を止められないものでしょうか。
最近は歯科医の方々も用心するようになっていて、うかつに治療しないようになってきているとは思います。
ただ、「患者さんから『どうしてもこの歯を治療してほしい』と言われたらせざるを得ない」という先生もいます。自分が行った処置の後に「具合が悪い」と患者さんに言われたら、たとえ大丈夫だと思っていてもついつい被せ物(補綴物)を外してしまうことなどはありえます。人がやることですから、100%自信を持つというのはなかなか難しいことです。
次回に向けて
歯科心身症は画像検査や血液検査では問題がなくても、患者さんは症状を自覚している状態です。発症するきっかけは何も大掛かりな治療の後に限らず、虫歯の治療などごくごく一般的な内容の場合があります。また、原因は複雑なものだと考えられています。
それでは専門家すらも厄介と言う歯科心身症はどうやって治療すればよいのでしょうか。また、その治療先は歯科でよいのか、それとも精神科がよいのでしょうか。次回はそれらの点を紹介します。