はじめに
「女性アスリート三主徴」という言葉を知っていますか?1997年にアメリカスポーツ医学会によって提唱された概念で、当初は「摂食障害」「無月経」「骨粗鬆症」の3つを指していました。2007年に改訂され、現在は「利用エネルギー不足(消費エネルギーに対する摂取エネルギー不足)」「視床下部性無月経」「骨粗鬆症」に変更されています[1]。いずれも激しいトレーニングの継続により生じる障害で、若い女性アスリートの多くが悩まされています。
2020年東京オリンピック・パラリンピック出場を目指すような一流のアスリートはもちろんのこと、中学校・高校・大学で部活に励む女性アスリートにも理解を深めてもらいたい健康管理上の重要な問題です。本稿ではそれぞれの病態と対策について説明したいと思います。
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激しいトレーニング後のホルモン分泌の変化
思春期は、体が大きく成長し二次性徴があらわれる、人生においてとても重要な時期です。一方、若い女性アスリートの競技人生においても重要な時期であり、激しいトレーニングを積み、体重管理を徹底し(体脂肪率を低く保ち)、パフォーマンスを向上させようとみんな頑張ります。トレーニングによって負荷がかかれば人間の体は生理的に反応し、呼吸・循環・内分泌系のバランスを保とうとします。
激しいトレーニングがホルモン分泌に与える影響について表1(文献2より)にまとめました。トレーニングによって影響を受けるホルモンは、性腺(卵巣)ホルモン、副腎ホルモン、甲状腺ホルモン、成長ホルモンの4系統に大きく分類されますが、最近では脂肪組織や消化管(胃や腸)から分泌されるホルモンにも変化があることが分かってきました[2]。
簡単にまとめると、激しいトレーニングによって女性ホルモンが減り、ストレスホルモンが増え、甲状腺ホルモン(T3)が減ります。脂肪組織や消化管からのホルモン分泌については未だよく分かっていないことも多いのですが、エネルギー収支がマイナスになる(利用エネルギー不足になる)ことと関連していると考えられます。
利用エネルギー不足
利用エネルギー不足はかつて「摂食障害」として分類されていました。若い女性アスリートのうち約20-30%が何かしらの摂食障害に陥っている(一般女性は5-9%)という報告があります[3]。特に、体操や長距離走、体重による階級制がある柔道やレスリングで多いことが分かっています。
利用エネルギー不足は、基本的には激しいトレーニングによるエネルギー消費に見合うエネルギー摂取がなかった場合に起こりますが、アメリカスポーツ医学会によると、これは徐脂肪体重1 kg当たり30 kcal未満のエネルギー摂取と定義されています[4]。
利用エネルギー不足はGnRH(性腺刺激ホルモン放出ホルモン)の規則正しくリズミカルな分泌を妨げ、LH(黄体形成ホルモン)とFSH(卵胞刺激ホルモン)の分泌が低下することで女性ホルモンの低下につながります。女性ホルモンの低下はアスリートの月経周期を狂わせ、骨密度を低下させます。摂食障害の有無に関わらず、エネルギー利用不足によってホルモンバランスが乱れ、骨・筋肉、女性の性機能、心血管系に障害を引き起こすのです[5]。
運動量の変化があるにも関わらず、それに応じた食事量の調整が行われないことがしばしばあります。強度の高い運動を行うと食欲が抑えられることが一因かもしれませんが[6]、指導者とアスリート自身が栄養に関する正しい知識を身に付けることが利用エネルギー不足を防ぎ、パフォーマンスの向上につながります[7]。
無月経
エネルギー不足の状態が続くと視床下部–下垂体-性腺(卵巣)系が障害され、表1にお示ししたようにLH、FSHの分泌が低下し、分泌リズムが不規則になります。性ホルモンの分泌低下はコルチゾール(副腎)、インスリン、IGF-1(インスリン様成長因子)、レプチンやグレリンなどの食欲を調整するホルモンのバランスを乱します。また、性ホルモンの分泌リズムが不規則になると月経異常が起こり、長期間続くと(一般的には90日以上)視床下部性無月経と診断されます[7]。
トレーニングによる無月経は“スリムな体形”が求められる、あるいは“痩せていること”が有利なスポーツの選手が起こしやすいわけですが、実にバレエダンサー(12-18歳)の42%[8]、新体操選手(平均18.3歳)の55%[9]が患っていると報告されています。陸上競技における無月経の頻度は報告によりまちまちですが、長距離選手では約60%に上るとされています[10]。
一方、女性アスリートの無月経はすべてがトレーニングによるものというわけではありません。無月経を起こす病気が隠れていないか、精査しましょう。
以下に鑑別をいくつか挙げます。各病気について本稿では詳しく説明しませんが、女性アスリートに無月経が現れたら必ず一度は医師の診察を受けてください。
- 先天性疾患(ターナー症候群、副腎過形成など)
- 下垂体腫瘍
- 高プロラクチン血症
- 甲状腺機能異常
- クッシング症候群、アディソン病
- 卵巣腫瘍、多嚢胞性卵巣症候群
- アッシャーマン症候群、子宮無形成、子宮内膜感染症
- 妊娠
- 摂食障害、気分障害、ストレス
- 薬剤性(抗がん剤など)
骨粗鬆症
激しいトレーニングによるエネルギー不足とそれによる各ホルモンバランスの異常は、骨密度低下や骨粗鬆症を引き起こします(図:文献2より)。運動は骨の健康に良いはずなのに、不適切なトレーニングが骨の病気を生んでしまうのです。
骨粗鬆症は骨折、特に疲労骨折のリスクを上げます[11]。1961年の日本人選手を対象とした調査では、疲労骨折の発症率は長距離陸上選手で最も高く26.4%でした[4]。疲労骨折は若い女性アスリートのパフォーマンスを下げ、競技の世界における未来を奪います。
診断と治療
診断:検査や聞き取りが必要
「女性アスリート三主徴」の診断には医師の診察と質問紙票でのスクリーニングが必要です。アメリカスポーツ医学会と国際オリンピック委員会のガイドラインをベースに作られた質問紙票を表2に載せます[4]。
確定診断のためには体組成測定、骨密度測定、ホルモン濃度の測定など各検査を行いますが、アスリートの食事摂取量やトレーニング量、体重の変化、普段の生活の様子などを詳しく聞き取ることが最も大切と考えられます。
治療:ゆっくりと体重を増やす
治療はまず、食事によるエネルギー摂取を増やし、トレーニングによるエネルギー消費を減らすことです。エネルギー収支をプラスにして体重を増やしますが、ゆっくりと増やしていきます。1週間~10日ごとに、ベースラインのエネルギー必要量の20-30%ずつ、あるいは体重が0.5 kg増えるように食事を増やしていきます。1日2,000 kcalエネルギーを消費するアスリートでは、1日約200-600 kcal分エネルギー摂取を増やし、数か月かけて目標体重を達成します[12]。
体重が増えればLH・女性ホルモンが上昇し無月経も回復しますが、骨密度が減り続ける場合は付加的に薬物療法も検討します。何歳からどのような基準でお薬を使うかコンセンサスは得られていませんが、17-β-エストラジオールやエストロゲン/プロゲステロン製剤の投与が有効という報告があるようです[7]。
また、競技ストレスから摂食障害に陥ってしまった場合やパフォーマンスの低下に対する不安が強い場合など、心理療法も必要となるでしょう。こうした治療において、スポーツドクター、スポーツ栄養士・心理士がチームとなってアスリートをサポートすることがとても重要です。
おわりに
若いアスリートは様々な悩みを抱えています。女性アスリートに特有の無月経と骨粗鬆症は、利用エネルギー不足から生じるホルモンバランスの乱れが原因です。若いアスリートの命と未来を守るために、アスリート自身と指導者が科学的根拠に基づいた正しい知識を身に付け、さらに体調の変化にいち早く気づくことが大切です。競技ストレスや私生活の悩みを相談できる人もなくてはならないでしょう。筆者も若いアスリートが心と体の健康を保ちながら日々のトレーニングに集中できるように、しっかりサポートしたいと思います。