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漫画のパワーが難病の疾患啓発や治療薬の開発を後押しする―。

講談社の漫画雑誌「モーニング」で小山宙哉さんが連載している「宇宙兄弟」では、神経難病「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」が重要なキーワードとして登場します。主人公で宇宙飛行士の南波六太(ムッタ)、日々人(ヒビト)兄弟の恩師で天文学者のシャロンはALSを発症し、南波兄弟らの支援を受けて懸命に病と向き合っています。

また漫画に登場する医師の伊東せりかは、幼いころに父をALSで亡くしました。父の命を奪ったALSの研究や治療薬を開発するため宇宙に可能性を見出し、宇宙飛行士を目指します。見事試験に合格したせりかはISS(国際宇宙ステーション)で新薬開発実験に成功しました。

現実世界では症状の進行を遅らせる薬はあっても、残念ながら治す薬はまだありません。そのような中、小山さんのエージェント(作家の創作活動をサポートする業務、代理人)を務める株式会社コルクは、「不治の病」とされるALSの啓発、さらに治療薬を開発するための資金を集めるチャリティプロジェクトせりか基金(※)」を5月22日にスタートさせました。

※せりか基金とは

せりか基金ポスター

せりか基金ポスター

せりか基金は、ALSの治療方法を見つけるための研究開発費を集める活動です。Tシャツやシリコンバンド、ステッカーなどのチャリティグッズの販売で得た売り上げ(諸経費除く)を、ALSの治療開発に取り組む研究者(研究機関)に寄付します。詳しくは「『せりか基金-宇宙兄弟ALSプロジェクト』公式サイト」をご覧ください。

今回は6月21日の世界ALSデーに合わせて「せりか基金」について紹介します。プロジェクト責任者の黒川久里子さんに基金発足の思いやALSについて感じたことなどを語っていただきました。

※記事のトップ画像やポスター、伊東せりか、シャロンの画像はコルクより提供していただきました。

ALSの患者さんやファンを信じて

黒川久里子さん

せりか基金プロジェクト責任者の黒川久里子さん。手に持つのはチャリティグッズのステッカー

宇宙兄弟には早い段階からALSが登場していました。資料や取材活動を通してALSの現状を知り、スタッフの中でも「何か力になれることはないか」という思いがありました。

ただ一方で、簡単に始めていいのだろうかという考えもありました。支援活動を始めたとして資金面の影響などから中途半端な状態で頓挫した場合、かえって関係者の皆さんを傷つけてしまう恐れもあります。そういった懸念から実現するには至っていませんでした。

その流れが変わったのは、作中でせりかが新薬への手がかりを発見するシーンが登場したことです(コミックス27巻)。漫画の中でも象徴的なシーンで、多くのファンの方に気に入っていただけましたし、ALSの関係者の方々にも喜んでいただけました。

「本当に現実になったらいいよね」という声を読者の方々から掛けていただき、その気持ちが高まりを見せ、「宇宙兄弟にできることがあるはず」という思いに至りました。

また制作側がいくら熱意を持って動き出しても、その熱意に応えてくれる人たちがいなければプロジェクトは成功しません。その中で宇宙兄弟のファンクラブ「コヤチュー部」の存在はとても大きかったです。

日ごろからメルマガやPRイベントを通して、作品を応援してくれる人たちとコミュニケーションを取っており、ファンの方々は熱いという実感がありましたし、イベントにALSの患者さんが参加したときの反応も知っていたので、きっとファンの方々なら自分たちの気持ちを応援してくれると信じることができました。

宇宙兄弟だからこそできる支援、それは「治療薬開発への寄付」

宇宙兄弟に登場する伊東せりか

ALSの研究や治療薬開発に奮闘する医師で宇宙飛行士の伊東せりか

ひとくちに「ALSに寄付する」といっても、対象となる寄付先は様々です。寄付の目的には相当悩み、決めるのに時間が掛かりました。療養するにもお金は必要ですし、視線入力装置といったコミュニケーション機器の費用などもものすごく重要です。それらは今すぐ患者さんの役に立つものでしょう。

ただ宇宙兄弟を通して活動する上では、作中にも出てくる「治療薬の開発」というメッセージが一番伝わりやすいと考えました。コミュニケーションへの思い、療養に対する価値観は患者さんそれぞれですが、治りたくない人はいないという認識は皆さんに共通しているからです

私たちは医療者でもなく、介護者でもないので今後のALSに関する方針を決める立場ではありません。ただ漫画の中ではせりかがALS治療薬の開発に向けて動き出しているので、そこに焦点を当てようと考えました。

関係者の皆さんに話を聞いてみると、「治療薬の開発」、治療研究費は成果をあげられるかどうか分からない分野のためなかなかお金が回りにくいそうです。そのような状況を踏まえ、寄付先を治療研究費にすることと決めました。

ただ決めた今でも「(研究費に回して)本当にいいのかな」という思いはあります。色々な方にお会いしている中で療養費や移動費にお金が掛かることを実感したからです。それでもいつも相談に乗ってくれる患者さんや支援者の方々が「せりか基金はこれでいい」と言ってくれたことで勇気をもらえました。

ALSとともに患者さんの思いへの理解も深めてほしい

宇宙兄弟に登場するシャロン

ALSを発症しながら懸命に病と向き合う天文学者シャロン

私は本やドキュメンタリー番組、映画などでALSについて知識を得ていく中で、ALSは本当に恐ろしい病気だと思っていました。それが実際に患者さんとお会いしてみると、日々忙しく活動されていて、一人の人間として悲しんだり喜んだり、また私たちのことをメールで励ましてくれたり、自分が想像する恐怖と戦っているとは思えないくらい前向きに生きている方もいました。

ALSは体が動かなくても意識ははっきりしています。「残酷なことだ」と考えてしまいますが、ある患者さんから「それは幸せなことだ」という意見をもらいました。また今一番困っていることについて尋ねると、「ALSはコミュニケーションが取れない病気だと患者さん本人や周囲が思っていること」だと教えられました。

自分たちも最初は相手の表情が動かないので感情を読み取れず、「帰った方がいいのかな」「質問が良くなかったのかな」と怖い気持ちになりました。勝手に「ではそろそろ帰らなきゃ」と思いましたが、長い間コミュニケーションを取っていると私たちを和ますために冗談を言ってくれるなど、様々な気遣いをしてくれ、温かい気持ちにしてくれました。

今回の基金は研究費を集めるだけでなく、疾患啓発も目的の一つです。ALSを知ってもらった上で、患者さんがどういう思いを抱いているかまで深めていってほしいです。

アイス・バケツ・チャレンジ(※)が一時期流行したとき、患者さんは喜んでいたのに他の人から活動が良くないと指摘され無くなっていったことが悲しかったと聞きました。ALSは患者さんの声が届きにくいので、正しく患者さんの思いを理解してもらえると嬉しいです。

チャリティグッズの販売を開始してから、たくさんの方に支援をいただいています。その中で、「継続して寄付をしたい」という声も頂いているので、今後はさまざまな寄付の方法を考えていきたいです。

私たちの希望は、いつの日かALSが治療可能な病気となり、基金の活動が早く終ることです。患者さんと「昔は恐ろしい病気だったよね」と話しながら一緒にご飯が食べられたらいいですね。

※アイス・バケツ・チャレンジ…2014年にアメリカから始まったALSの啓発・支援活動。支援方法の一つに氷水を浴びる行為があったことから注目を浴び、日本を含めた世界各国に広まった。一方で氷水を浴びることへの批判もあったため、次第に収束していった。

取材後記

せりか基金

漫画で取り上げたことが縁で、疾患啓発だけでなく治療薬開発の支援まで取り組む流れは印象的です。またしっかり病気や患者さんと向き合った思いがあったからこそ、ファンや関係者の方々の賛同を得られたのではないでしょうか。難病として知られるALSがいつの日か、「治る病気」として認知されることを願ってやみません。

※追記
現在「せりか基金」プロジェクトでは、集まった寄付金の一部を交付するため、ALSの原因究明、治療法に関する研究を募集しています。応募期間は2017年10月25日(水)まで。詳しくは「平成29年度『せりか基金』賞募集」をご覧ください。⇒2017年の応募は終了いたしました。

2018年の応募については「ALSの原因究明・治療法の研究を助成!せりか基金賞が応募受付中」をご覧ください。⇒2018年の応募も終了しました。