はじめに

プロ・アマを問わず、スポーツに熱心に取り組んでいる方なら「オーバートレーニング症候群」という言葉を聞いたことがあるでしょう。過剰なトレーニングによってパフォーマンスの低下するオーバートレーニング症候群は、トップアスリートと呼ばれるような人たちだけでなく、趣味で運動を楽しんでいる方にも起こりうる状態です。

オーバートレーニング症候群は、発症のメカニズムなどまだ分かっていない部分も多いですが、正しい知識を持つことが予防につながります。

本稿では、このオーバートレーニング症候群について前後篇に分けてまとめてみたいと思います。

目次

「オーバーリーチング」と「オーバートレーニング」

オーバーリーチングとオーバートレーニングの違い

アスリート(あるいは一般のスポーツ愛好者も含めて)が強化トレーニングを行うと一時的にパフォーマンスが下がります。ここで適切な休養期間をつくると、“超回復”が起こりアスリートのパフォーマンスが向上します。これを「ファンクショナル・オーバーリーチング(Functional overreaching)」と呼びます。

一方、トレーニングに伴うストレスや人間関係・環境の変化などによるストレスが蓄積すると短期的にパフォーマンスが下がりますが、きちんと休養をとれば数日から数週間で回復します。これを「ノンファンクショナル・オーバーリーチング(Nonfunctional overreaching)」と呼び、トレーニング強化による変化と考えられています。

オーバートレーニング症候群はノンファンクショナル・オーバーリーチングと似ていますが、パフォーマンスが回復するまでにより長期間を要します。個人差はありますが、一般的に数週間から数か月(数年のことも)かかるとされ[1]、競技生活を送るアスリートにとって深刻な問題となります。

オーバートレーニング症候群とは

オーバートレーニング症候群とは、過剰なトレーニングにより慢性疲労に陥り、パフォーマンスが低下し、短期間で回復しない状態のことです[2]。心身両面のストレスが誘因となるため診断が難しく、他の病気をきちんと除外・鑑別しなくてはなりません。

オーバートレーニング症候群は“長期間にわたる不適応”と言い換えることができるでしょう。すなわち、その症状は競技成績の低迷や身体パフォーマンスの低下のみならず、原因のよく分からない倦怠感や気分障害を含み、ノンファンクショナル・オーバーリーチングより重症です。

一体どれくらいのアスリートがオーバートレーニング症候群に悩まされているのか?実はきちんとした統計データはありませんが、後向きの疫学調査(過去のデータを対象とした調査)では10%-60%[1]、英国で行われた水泳選手を対象とした前向きの調査(ある時点から対象者を追跡して問題が発生するかどうか調べる)では29%のアスリートがオーバートレーニング症候群になったと報告されています[3]。

このように、少なくないアスリートが悩まされています。自分が気づかないうちにオーバートレーニング症候群に陥っていたということもあると考えられます。

病因

オーバートレーニング症候群の病因は、よく分かっていません。ですが、グリコーゲンの枯渇・分岐鎖脂肪酸(BCAA)の枯渇、グルタミンの枯渇、免疫系の異常、自律神経障害、酸化ストレス、視床下部調節機能異常、サイトカインの異常分泌と炎症が病因と考えられており[1]、中でもグリコーゲン・BCAAの枯渇、視床下部調節機能異常、サイトカインの異常分泌が有力な仮説とされています[5]。

グリコーゲン仮説

筋肉に貯えられたグリコーゲン(エネルギー源となる糖の一種)が少なくなると高負荷の運動に対して十分なエネルギーを供給できずにパフォーマンスが低下します。グリコーゲンの低下は酸化反応を増やしBCAAを低下させ、脳に入るトリプトファン(セロトニンを合成する原料)を増やします。

セロトニンは本来、人をリラックスさせたり、安心感を与えたりする神経伝達物質ですが、これにより脳内のセロトニン濃度が過剰になり、倦怠感や気分障害、睡眠障害が生じます。また、運動は酸化反応によりBCAAを低下させるため、相乗的に脳内に入るトリプトファンが増えることになります。

視床下部機能異常仮説

特に、視床下部下垂体-副腎系と視床下部-下垂体-性腺系の異常がオーバートレーニング症候群のアスリートに見られると報告されています。

オーバートレーニング症候群のアスリートではコルチゾール、副腎皮質刺激ホルモン、テストステロン(男性ホルモン)、エストロゲン(女性ホルモン)が急激に変化することがあります。例えば、コルチゾールの異常分泌は体内のエネルギー再分配を促進し、免疫反応を抑制し、運動前後のカテコールアミン(ドーパミン、ノルアドレナリン、アドレナリンなど交感神経を興奮させる物質)を早期に増やしますが、視床下部-下垂体-副腎系が障害されるとコルチゾールの作用が低下し、倦怠感や抑うつ気分、意欲の消失が生じます。しかし、この仮説ではオーバートレーニング症候群のすべての症状を説明することができません。

サイトカイン仮説

スポーツによる筋肉の収縮と関節の動きは筋肉にわずかな傷をつくります。十分な休養をとらずに激しく筋肉と関節を動かすと傷が大きくなり、サイトカイン(細胞間の情報伝達を行うタンパク質の総称)の分泌と炎症を起こします。

オーバートレーニング症候群において、インターロイキン(IL)-1β、IL-6、腫瘍壊死因子α(TNF-α)というサイトカインの関与が報告されています。例えば、これらのサイトカインは視床下部で働き食欲を抑制します。適切な栄養摂取を行わなければ筋肉におけるグリコーゲン貯蔵が減り、エネルギー供給不足によりパフォーマンス低下につながります。また、IL-1βとTNF-αは脳で働き睡眠障害抑うつ気分の原因になると言われています。さらに、TNF-αはグルコーストランスポーター4型(GLUT-4:筋肉に糖を取り込みエネルギーをつくる輸送体)に必要なタンパク質合成を低下させ、高負荷の運動に必要なグリコーゲンが不足するため筋肉が疲れやすくなると言われています。

このように、生化学・内分泌学的な病因が考えられていますが、オーバートレーニング症候群の原因をすべて説明できる仮説はありません。実際は、いくつものメカニズムが複雑に関連しあっていると思われます。

前篇まとめ・後篇にむけて

オーバートレーニング症候群の症状や原因について解説しました。多くのアスリートが悩まされるこの状態は、様々な原因が重なり合って生じると考えられています。一時的・短期的なパフォーマンスの低下とは異なり、回復までには長い時間を必要とします。

後篇では、診断(鑑別疾患)や予防・治療について解説します。アスリート本人だけでなく、ご家族や指導者の方にも知っていただきたいと考えています。