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今や、がんはすべての日本人にとって他人事とはいえない病気です。中でも女性のがんの一つ・乳がんは近年増加しており、一生のうち約12人に1人が診断されるといいます(厚生労働省|人口動態統計2015年より)。

ここでは、若年性乳がん体験者を支援する患者支援団体「Pink Ring」の活動を紹介します。
Pink Ringは、20~30代で乳がんを経験した患者さんをサポートする団体です。正しい情報発信、同世代のコミュニティ提供、そして若年性乳がんの研究支援・研究活動の3つを中心に行っています。

代表の御舩美絵さん・責任者で乳腺専門医の北野敦子先生の2人のインタビューを通じて、一人でも多くの方に「若年性乳がん」について知っていただければと思います。前半では、代表の御舩さんが「乳がん」を告知されてから現在に至るまでのお話を中心にお届けします。

※Pink Ringは2017年1月15日(日)に「Pink Ring Summit」を開催します。このイベントは、若年性乳がん患者さんが自分らしく生きていくために、がんとの向き合い方を一緒に考えていく場です。興味がある方は是非、上記リンクをご覧ください。

 

御舩美絵さん:若年性乳がんサポートコミュニティ「Pink Ring」代表。
北野敦子先生:国立がん研究センター中央病院 乳腺腫瘍内科医師。「Pink Ring」責任者。


恋愛、妊娠、就労…若年性がん特有の問題は多い

ピンクリングサミット-写真

――まずは、Pink Ringの発足の経緯をお話しいただけますか?

北野先生(以下、敬称略) 私が聖路加国際病院にいた時に、若年性乳がんの患者さんを受け持つことが多くて。その中で、今の社会では彼女たちのニーズに応えるすべがないことに気付いたんです。

乳がんには大きな患者会がいくつかありますが、若い患者さんだけで集まる場はありません。それで研究費をとってきて、若年性乳がん患者さんに対するグループ療法という研究として、Pink Ringがスタートしました。10人くらいで1グループを作り、そのグループが毎週会って、5回のセッションを行うんです。その前後で、QOLや不安・抑うつに変化がないかを調べていました。

そのときのPink Ringは研究期間が終了すればそれで終わりでした。でも、そこに集まった患者さんたちが「このまま研究で終わりでなくなっちゃうのは嫌だよね」と言うので、そのまま『Pink Ring Extend』という名前で患者会として発足したのが2011年です。

御舩さん(以下、敬称略) 臨床研究の頃は、「35歳までに乳がんになった人」という年齢制限がありました。でも今は、特に制限は設けていません。「20代・30代で乳がんになった方」程度です。恋愛や結婚、妊娠・出産・子育、就労など、若年性特有の問題はたくさんあります。そういう悩みを共有できる方が参加できる場としています。

「自分は、がんとはすごく無関係の位置にいた」

御舩さん-写真

――今、「若年性特有の問題」というキーワードが出てきました。御舩さんご自身も、若年性乳がんの闘病を経て今ここにいらっしゃいます。ここで御舩さんのことをお聞きしたいのですが、最初はご自身で何らかの症状があって受診されたのですか?

御舩 そうですね。私はもともとライターだったので、乳がんの記事を書いたことがあって。そのときに、乳がんは「自分で見つけられる数少ないがん」だと知り、自分でちょっと触ってみたら「あら?」と思うしこりがあったんです。

一度調べてみた方がいいなと思って病院に行ったのが30歳のときです。その時は、マンモグラフィと超音波と触診をしましたが、「このしこりは乳腺症みたいなものだから大丈夫です」と言われたのでそのまま帰りました。若かったし、周囲にがんの患者さんもいなかったので、自分はがんとはすごく無関係の位置にいたんです。そうそう病気になるわけはないし、検査も十分にしたと思っていて。

当時は、検査や検診は100%だと思っていたし、医師の診断も100%だと思っていました。だから、大丈夫だと言われてお墨付きをもらった気がして、それからまた仕事とプライベートを楽しむ毎日に戻っていったのが最初です。

――医師の診断を疑う、というのはとても難しいことだと思います。

御舩 そうですね。初めて向きあうことばかりなので…他の病院に行ってみようなんて、全然思わなかった。それからも、しこりはずっと気になっていましたが、病院にも行ったし、気のせいかと思って。検診は2年に1度と言われているので、まだ2年経ってないし、と考えていました。

その頃、ちょうど結婚が決まり、その時に母が私の胸のしこりを触って「すごく気になるからもう1回検査を受けてほしい」と言ったんです。それで初めて「もう1回病院に行ったほうがいいのかな」と思いました。結婚が決まって、すぐ子供がほしかったので仕事も辞めて。ちょうど時間が空いたので、その間に検査を予約しました。

最初にマンモグラフィの検査を受けたら、「1年半前と変わってないので大丈夫ですよ」と言われました。でも、痛みも出ていて、すごく気になるんです。だから超音波でも診てもらったら、私でも「え?」と思うくらいにすごく真っ黒な、大きいものが画面に映っていました。

それを見た瞬間に、「これは大変なことになってしまった」と思いました。それで、「細胞を取りましょう」ということで細胞診(患部に針を刺して細胞を取り、がんかどうか確認する検査)をしたのですが…先生も慌てていて、細胞を取った針が落ちてしまったんですよ。すぐに「もう1回取ります」みたいな感じになりました。

御舩さんと北野先生-写真

北野 若い人に乳がんを見つけた瞬間って、ちょっと焦るんです。瞬間的に、その人の人生とか考えてしまうので。

御舩 その結果が1週間後に分かって、「乳がんです」と告知されました。結果が分かったのは、結婚式の2週間くらい前でした。

――ご自身の病気を、どんなふうに受け入れていったんですか?

御舩 告知された日に「これだけは聞かないと」と思ったのが、自分は子供を産めるのかということでした。先生に「子供を産めますか」と聞いたところ、「がんになっても子供を産んでいる人はいますよ」と教えていただきました。それは唯一の希望で、とりあえずその日は帰りました。

受け止められたのかは分からないんですけど、日々の検査や結婚のことなど、やらなければいけないことが山積みだったので、それをこなしながら受け入れるしかありませんでした。

明るい未来しか考えていなかったときに”がん”だと言われたので、本当に目の前が真っ暗になりました。生きられるのか、子供を産めるのか、胸はどうなっちゃうんだろうとか…不安はたくさんありましたね。

同じ病気の人と話すと、気持ちが楽になる

御舩さん-写真

――そこから闘病を始められて、北野先生やPink Ringと出会っていきます。Pink Ringとは、どういった経緯で出会ったのでしょうか?

御舩 乳がんになって、いろんな治療や治療選択をしていく中で、同じ病気になった人と話したいと強く思ったんです。でも、病院に行っても同じ乳がんの患者さんが誰なのか分からない。

たまたま、検査で一緒になった80代の女性が乳がんだったことがあって。その人が、私にとって初めての「がん友」なんですけど、「私はこうなのよ」「この検査をしたのよ」とお話ししながら病気のことを共有できただけで、私はすごく救われました。同じ病気の方とお話をすることで、すごく自分の気持ちが楽になることを知りました。

それで、「将来子供を持つ」ということに対して、妊孕性(にんようせい:妊娠できる力)を温存するか悩んだときに、「他の人はどうしたんだろう」と思いました。同世代で、同じ悩みを持っている人と話がしたいと思って、インターネットで「若年性乳がん」「乳がん 妊娠」などと検索していました。

そこでPink Ringを見つけて。若年性乳がんの人が集まって、グループワークやパーティーをしてみたり、フラダンスのチームがあったり。当時私は広島で治療をしていたので、「東京にはこんなに素敵な若い患者さんの集まりがあるんだ」と知り、すごく衝撃を受けたんですよ。それまでは、乳がんというと暗いイメージで…Pink Ringはとてもキラキラしていて、良いなって思ったんです。それから夫の転勤で東京に来ることになったので、「Pink Ringに参加したいです」とメールを出しました。

北野 若年性の方、100人くらいグループ療法をやってきたんですけど。美絵さんは中でも印象的でしたね…結婚直前だったから、特に。

若い女性が胸を手術して、パートナーとどう関わったらいいのかとか、そういうことって日本ではなかなか話題にならないんです。旦那さん側も凄くショックだし、触れちゃいけない話題のようなことになりがちです。病気が原因で愛が深まる人たちもいれば、それが原因で終わってしまうこともある。どういう風に取り組んだらいいのか、美絵さんや他の人との対話を通じて、自分も一人の医師として感じるところがあります。

北野先生-写真

御舩 Pink Ringで同世代の人と机を囲んで、涙ながらにいろんなお話をして、すごく救われたし、悩んでいるのは私一人じゃなかったんだなと思いました。それですごく気持ちが救われた。それがPink Ringとの初めての関わりです。

それで、前代表が退いた後に「代表にならないか」と声を掛けてもらって。最初は戸惑いましたが、私はPink Ringに本当に救われたし、これがどんどん小さくなって、なくなっちゃうのは悲しいなと思いました。

私みたいに地方にいて、「いつか東京に行ったときにはPink Ringに参加したい」と思って治療を頑張っている方が、全国にたくさんいるのではないかと思いました。「いつかPink Ringに参加しよう」という想いは、希望や頑張る気持ちにつながるし、孤独に若年性乳がんと向き合っている方がたくさんいる中で、このPink Ringの輪をもっと広げてたくさんの方に届けていきたいと思ったんです。そうして引き継いだのが、2014年です。

北野 Pink Ringは、以前は医療者が中心で会の運営をしていたのですが、今は患者さんたちが主体的に会の運営をしてくれています。私はチーフメディカルアドバイザーとして、正しい医療情報の発信や、メンバーたちのニーズや意見を、医療の現場にフィードバックする橋渡し役をしています。


結婚直前に若年性乳がん患者と診断され、「同世代の人と話したい」という思いからPink Ringと出会った御舩さん。後編では、Pink Ringの活動や、若年性乳がんの患者さん特有の問題についてお聞きします。

※取材対象者の肩書・記事内容は2016年12月26日時点の情報です。