後篇・はじめに

長期間にわたり、アスリートやスポーツ愛好家のパフォーマンスを下げてしまうオーバートレーニング症候群。前回の記事では、その定義や原因を解説しました。

本記事では、オーバートレーニングの診断(除外すべき病気)および治療・予防法についてお話しします。健康的にスポーツを楽しみ続けるためにも、ぜひ本記事の内容を参考にしていただければと思います。

目次

診断

オーバートレーニング症候群は、除外診断(似た症状を起こす他の病気の可能性を調べ取り除くことで病気を特定すること)により診断をつけますが確定診断は容易ではありません。オーバートレーニング症候群に特有の診断基準やバイオマーカー(血液や尿に含まれる物質で、病気の有無や状態を示す指標となる)は今のところありません。唯一確かな症状は競技大会あるいはトレーニング中のパフォーマンスの低下です。

はじめに除外すべき病気

まず、パフォーマンスの低下や気分変調に影響を与えうる病気を除外しましょう。以下に挙げる病気がないか、適切な検査を受けて調べます[4]。

  • 甲状腺疾患
  • 副腎皮質機能異常
  • 糖尿病などの内分泌疾患
  • 貧血(鉄欠乏性貧血など)
  • 感染症(上気道感染や肝炎など)
  • 摂食障害
  • 脱水症

一般的な鑑別疾患

  • カフェイン離脱症候群
  • トレーニング環境に対するアレルギー
  • 運動誘発性気管支けいれん
  • 睡眠障害
  • 不安障害
  • 社会心理学的なストレス

ややまれな鑑別疾患

次に挙げるものはややまれですが、重要な鑑別疾患として考えます[1]。

  • 薬物の副作用(抗不安薬、抗ヒスタミン薬、β遮断薬など)
  • 女性アスリートの妊娠
  • 不整脈
  • 先天性心疾患
  • 心不全
  • 冠動脈疾患
  • HIV感染
  • 梅毒
  • 吸収不良症候群
  • 慢性肺疾患
  • 慢性腎臓病

  • など

栄養管理・トレーニングプログラムの問題

オーバートレーニング症候群では、アスリートの栄養管理やトレーニングプログラムに問題なかったか検証することも極めて重要です。

  • 炭水化物とタンパク質の摂取不足
  • 延々と続く単調なトレーニング
  • 運動による熱ストレス

早期発見のために、スポーツドクターの診察が重要

オーバートレーニング症候群の診断は後向き(症状が出た時に振り返って検証する)にしかつけることができません。合致する症状が見られたら、まず2週間休ませ、改善しなければノンファンクショナル・オーバーリーチングかオーバートレーニング症候群を疑うことになります。繰り返しますが、確定診断は困難です。

オーバートレーニング“症候群”という表現は、原因が複数あり、決してトレーニングだけが問題となるわけではないということを示しています。アスリート自身が、あるいはアスリートを長く見ているコーチや家族が体調の変化に気づくことから始まりますが、自己判断することなくスポーツドクターの診察をきちんと受けることが大切です。

ヨーロッパスポーツ医学会とアメリカスポーツ医学会の合同委員会が提案したオーバートレーニング症候群の診断チャートを載せます(図1)[4]。参考にしてください。

図1:オーバートレーニング症候群 診断チャート

治療(予防)

オーバートレーニング症候群には、残念ながら確立した治療法はありません。高炭水化物食や抗うつ薬で一定の治療効果があったとする報告がありますが[5]、エビデンスとしては不十分です。休養と軽いトレーニングが回復のための唯一の治療法と考えられています[4]。オーバートレーニング症候群は、治療するよりも予防することが大切です。

休み、寝る

アスリートは、一週間に一日はゆっくり休むことが推奨されています。高負荷トレーニングによって傷んだ筋肉と種々のストレスを癒す回復日がなければオーバートレーニング症候群に陥りやすくなります。

食べる

適切な栄養摂取を行わなければ筋肉中のグリコーゲンが枯渇し、血液中のカテコールアミンやコルチゾールが増えインスリンが減ります。高負荷トレーニングと炭水化物不足が重なると脂肪分解が進み、血液中にケトン体が増え倦怠感などの症状が生じます。

強化トレーニング中はエネルギー収支がマイナスになりやすいので、炭水化物によるエネルギー摂取を十分に行いましょう。

気づき

オーバートレーニング症候群の診断方法が確立されていないため、コーチとスポーツドクターがパフォーマンス低下に気づかなくてはなりません。以下の点に注意しましょう。

  • トレーニングあるいは競技大会中の正確な記録を付ける。一週間に一日は完全に休めるようにトレーニング量を調整する。(アスリートはいつもより疲れたら必ず申告する)
  • 単調なトレーニングはやりすぎない。
  • トレーニングの負荷はアスリートごとに個別化する。
  • 最適な食事・飲水量、睡眠について定期的に見直しアスリートに指導する。
  • トレーニングによるストレス以外に、睡眠障害、環境変化のストレス、職場や学校でのストレス、人間関係、家族関係のストレスがあることに気づく。
  • オーバートレーニング症候群は休んで癒す。
  • トレーニングの再開はアスリートごとに症状を見ながら決める。
  • アスリートとコミュニケーションをとる。身体的・精神的・感情的コミュニケーションいずれも重要である。
  • アスリートの心理的状態を調べるため定期的に心理テストを行う。
  • アスリートのコンディションに関して守秘義務を守る。
  • 医師、栄養士、臨床心理士などのチームで定期的に健康チェックを行う。
  • 怪我や病気の後にアスリートが回復するまで待つ時間をつくる。
  • 上気道感染(風邪)などの感染症に注意する。アスリートが感染症にかかったらトレーニングを延期するかトレーニング負荷を低くする。
  • パフォーマンス低下が見られたら必ず何か病気がないか調べる。

心の問題

オーバートレーニング症候群において唯一確かな症状はパフォーマンスの低下ですが、多くの場合アスリートは心の問題を抱えることになります。トレーニング負荷量と心理的ストレスは用量反応関係(負荷が強ければ強いほど心理的ストレスが大きい)にあることが分かっており[6]、アスリートの心のケアは必須です。

治療はスポーツカウンセラーなどの専門家に任せることになりますが、現場の指導者やスポーツドクターは曖昧な心の問題を客観的に評価することが求められるのではないでしょうか。

POMS(Profile of Mood States:気分プロフィール検査)を用いてオーバートレーニング症候群のアスリートの心理的問題を調査したところ、倦怠感、怒り、緊張感、抑うつ気分といった感情の変化が大きかったことが報告されています[7]。また、POMSをベースにオーバートレーニング症候群の心理的問題を評価するための質問表も開発されています[8]。心の問題を見逃さないことが、オーバートレーニング症候群に陥りそうなアスリートを救う手立てとなるでしょう。

おわりに

オーバートレーニング症候群は決してまれなものではありません。

風邪のように急に発症することはなく、数週間から数か月かけて徐々に進行することがあるため診断が容易ではありませんが、早く気づくことでアスリートの予後は改善します。

特効薬はなく、基本的に休むことが治療となります。トレーニングを再開し競技成績を上げたいアスリートのストレスは相当なものでしょう。しかし、休むことが最善なのです。

これを可能にするのは指導者と競技者の信頼関係ですが、オーバートレーニング症候群の予防という意味においてもコミュニケーションが非常に重要と考えられます。また、オーバートレーニング症候群について正しい知識をもち、鑑別診断に挙げられる病気の診療を的確に行えるスポーツドクターの存在も欠かせないものと考えます。

筆者もスポーツドクターの一人として、前途有望なアスリートやスポーツ愛好者の健康を守る力になれれば大変うれしく思います。