本日も、国立国際医療研究センター 総合診療科の國松淳和先生のインタビュー記事をお届けします。

前回記事では、「診断にこだわる真面目な先生」と「症状があるからには病気が心配な患者さん」とのすれ違いから、症状が長引いてしまいがちなケースを見ていきました。後編では、実際にそうした患者さんを多く見ている國松先生ご自身の取り組みや、普段の診察・治療のプロセスなどを聞きました。また、後半ではインターネットを使って医療情報を得るときに私たちが知っておくべきことを伺っています。必見です!

※医師の肩書・記事内容は2017年6月14日時点の情報です。

目次

「不明」「未診断」を専門にする理由

國松淳和先生-写真

「うちの科じゃない」を診るのが仕事

まず、立ち位置が「大きな病院の総合内科」なんです。小規模な総合病院だと規模が限られるので、何科など関係なく、否応なしに色々な病気を見ざるをえない人たちがいます。ただ、たまたま都心の、全部の科が揃っている大きな病院なんですね。全科そろってるわけですから、普通の発想をしたら総合内科なんていらなくて、症状のある患者さんは絶対どこかの科に該当しそうなのですが、各科の隙間みたいな患者さんたちが割といるんです。「うちの科じゃない!」みたいな。

それが自然と、うちの科(国立国際医療研究センター 総合診療科)に流れ着くことが多いです。そういう「不明」「未診断」みたいなものを日常的に診ているので、それで結果的に経験が増えて専門みたいになったという感じです。さまざまな情報を総合して判断して落としどころを導き出すっていう思考を使って診療することが結果的に専門になっている感じがします。

総合診療科は「最後の砦」

かっこよく言えば、最後の砦だと思っています。僕らが「分からない」と言ったらもう分かる人はいないという気概でやっているので、結果的にどんな症状の人も受け止めて、なるべく症状が解決するまで付き合っています。

やりすぎると本当に患者さんが増えてきてしまうので、その辺の線引きが難しいんですけどね。本当はもうちょっと診てあげたいけれど、これ以上診てあげると新しい患者さんが診られなくなってしまう。そういう悩みも出てきています。

診断をしなくても、治療はできる

患者さんの治療のプロセスは?

明らかに「まだ検査が不足している」と分かるときは、まだしていない検査を程よく入れていきます。加えて、一番極端なのが、例えば大学病院に2か所くらい、大きな病院も1、2か所行って、どんどん紹介状が折り重なって来て、それでも「熱がある。原因がわかりません」という場合です。こういう患者さんには「診断はもう、良いですよね」と初診から言うこともあります。そこまで行くと、その一言を待っていたような患者さんも多いんですよ。

患者さんってある意味、弱い立場で受け身の存在です。今まで大学病院の真面目な先生のもとでたくさんの検査を受けて、患者さんも検査を受ければ解決すると思って従順に受けているけれど、最終的には「分かりません」って言われてしまう。そこまで行くと、僕が「もう診断っていうよりも症状を良くする治療をしてみません?」っていうと、患者さんが「私も薄々そう思ってました。ありがとうございます」ってなるんです。

症状を見ていく中で「この検査をやった方が良いんじゃないか」って思えばその検査はしますけど、「これだけ調べたんですから」と。だから診断名をつけることにこだわらないで、「僕と一緒に症状を良くしていく治療をしませんか」って。僕の外来にはそういう、病名はないけれども症状を良くするために通っている人がかなりいます。病名が分からなくても、症状を良くする治療ってできるんですよ。診断推論の技術を突き詰めた先にあったものは、診断にこだわらず進むということだったんです。皮肉なことですけど面白いですよね。

本来、患者さん側が「もう病名はいいので症状を良くする治療をしてください」とは思わなくていいはずです。診断は医者が考えればいいだけなのですが、「診断がわかりません」と言い続けると、診断を求めてさまようというか、ドクターショッピングをしてしまうんです。

「僕は神様じゃないので真実を証明することはできません。でも、僕の意見を言うことはできます。あなたは、病気ではないと思います」って言うと、ほっとしてくれることが多いんです。「そう言ってくれたのは初めてです」って。

「選択する」「決断する」というのは結構重いことで、お医者さんもあまり重いことは言いたくないみたいなところがあります。だから、その一言が言われずに何ヶ月も経つことがあります。すいません、医療の話をさっきからしてないんですけど(笑)、どちらかというとこういうのは社会や価値観なのだろうと思うんです。防衛医療ではないですが、お医者さんも、安易に「大丈夫」とは言いません。患者さんからの「大丈夫って言ったじゃないか!」というクレームが嫌なんですよ。だから「風邪と思っても風邪じゃない場合もありますので」と言う。患者さんから要望が高まれば高まるほど、お医者さんも閉ざしていくというか、切なさを感じるわけです。

医療情報との正しい付き合い方

國松淳和先生-写真

Q&Aサイトの使い方は、よくよく注意が必要

まず、お医者さんが診察室でやっているのは、ちゃんと情報を得て、生でお話を聞いて、触って、考えを総合判断して落とし所を回答するということです。

ネット上の相談はその真逆を行くというか…患者さんの言葉だけで、断片的。お医者さんの仕事って、すごくアートなところがあって、診察や面談の技術を駆使して、思考や推論をして、総合的にベストな判断をするものなので、良識ある先生ほど即答を避けるわけです。Q&Aみたいなサイトは取っ掛かりだけにして、実際に受診していただくのであればまだ良心的なのですが、ネットだけで解決してしまうような答え方や断定的な言い方は、真っ当なお医者さんは普通しません。心の中で「これはもうこの病気に決まってる」みたいなことは思っても、その回答を出すために検査をするんです。いろんな可能性をたくさん挙げて、断定的な結論を言っていないような書き方のところが信頼できるんじゃないでしょうか。

あとは、Googleは役立つと思いますよ!Q&Aサイトに質問するくらいだったら、自分で検索した方が良いです。

ネットだけで解決しようと思わないで

ネットはアクセスが良くて便利ですよね。「いしゃまち」だけで解決しようとは思わず、取っ掛かりにすれば良いんだと思います。その先(受診)に繋げるような、そういう存在になればいいのかなと思っています。

断定を避けるということは、それを読んだだけでは解決しないということです。要するに、「困れば次へ行きなさい」ということかなと思いますけどね。あとは、健康意識がない人を引き上げるっていう役目もあるのかなと思います。

ここからの活路は、なんといっても遠隔診療だと思うんです。ネット電話を使えば、少なくともほぼ肉声で、表情もみられたり、対話ができたりします。電話以上の情報が得られますし、画像も見られるので、遠隔診療はネットを使った医療の質を上げていくはずです。法律の整備も今、うなぎのぼりで進んでいます。

信頼できる医師って?

お医者さんには、職人とか技術者とか、そういう側面があります。そういう制度みたいなものはないのですが、弟子入りするというか。師匠のところである期間を一緒に過ごして技術を磨く、そういうことがある世界なんですね。

だから、例えば2年くらい有名な病院で研修したところで一人前になんかなれないでしょ…と我々は思ってしまうんです。きらびやかなものじゃなくて、苦労を感じるキャリアの先生の方が信用できるというか…難しいですね。

大きな病院は、普通はワンマンが通じないところなので、標準的な考え方が嫌でも身についている先生が多いはずです。大きな病院に勤めた経験がありさえすればいい、とは言いたくないのですが。

開業の先生でも非常に勉強熱心な方はいて、本をたくさん読んだり、週末になると勉強会に出かけたり。ただ、その逆もいるわけです。研鑽を怠ると医療に多様な考えで立ち向かえなくなるので、おのずと変な判断をするようになってしまいます。

良い先生はオーダーメイドするので、患者さんに合わせて例えば「この患者さんには、これはいるけどこれはいらないかな」などと考えて処方を行います。だから、処方がワンパターンな先生は怪しいですね。処方の一個一個に理由があるような先生はすごく良い先生かなと思います。難しいですけどね。

編集後記

2回に渡って、「症状」の考え方やネットとの付き合い方についての取材の様子をお届けしました。体調を崩してクリニックや病院にかかるとき、症状の原因を探ろうとネットで調べ物をするとき、本記事の内容を少しでも思い出していただければと思います。

最後に語っていただいた「ネットだけで解決しようと思わないで」という言葉は、Webメディア側が発することに違和感を持つ方もいるかもしれません。しかし、いしゃまちも「症状の悩みを解決するお手伝い」にすぎず、実際に病院に行くきっかけや、自分の症状と向き合うきっかけになればという思いで運営しています。情報に依存しすぎず、ちょうど良い距離感での活用法を見つけていただければ幸いです。