「いしゃまち」には、1日に50万人前後の方からのアクセスがあります(2017年5月現在)。その多くがGoogleやYahoo!といった検索サイトで症状・病名を調べた方々です。

特に「咳 原因」「腹痛 病気」など、症状の原因を知りたい方が跡を絶ちません。本記事をお読みのあなたも、そんな経緯で「いしゃまち」に訪れてくださったかもしれませんね。

しかし、その症状には本当に、明確な”原因”があるのでしょうか?「そうとも限らない」と話すのは、国立国際医療研究センター 総合診療科の國松淳和先生です。國松先生は「原因のわからない病気の診断と治療」を専門とし、多くの患者さんと日々向き合っています。

「いしゃまち」の監修にも協力いただいている國松先生に、「症状」の捉え方や「診断」の意味などを聞いたインタビュー、前編は、医師と患者さんそれぞれの症状に対する考え方をみていきます。

※医師の肩書・記事内容は2017年6月13日時点の情報です。

目次

すべての症状に原因があるとは限らない

國松淳和先生-写真

医師と患者さんで「症状」の捉え方が違う

「全ての症状に原因となる病気がある」わけではなくて、「病気ではないけど体調が悪い」っていう人は結構多いですね。自然に治るものも多いです。

医学の知識がない患者さん側は、「症状があるからには病気が心配」ですよね。具合が悪いわけだから、心配するのは悪いことでは全くない。ただ、最初は、普通は詳しい検査をするわけではありません。重症かどうかは見立てるんですが、死なないような病気だなと思ったら、症状を和らげるような薬を処方するんですよ。

お医者さんは深刻な病気かどうかを見分けるプロではあるけれど、「検査値は異常じゃないけどだるい」とか、そういうのは「病気じゃない」と思ってしまいがちです。でも患者さんは辛いので、だんだん気持ちがすれ違ってくることがあるんです。お医者さんに「病気じゃない」と言われ続けると、患者さん側は症状をないがしろにされていると勘違いしてしまう。そういうコミュニケーションのズレみたいなものが俗に「困難なケース」とされてしまっているんですが、実際には医学的な意味でそんなに困難なことが多いわけではありません。

そういうすれ違いから、あちこちの病院に行っても解決しないというのを繰り返していると、いよいよ患者さんの考えがちょっと変質してくるんです。「確かに症状があるのに、病気がないはずない」と。最初は素直だったのが、だんだん猜疑心とか不信とか…「こんなに辛いのに」「今まで診てくれた先生が分からないだけなんじゃないか」みたいな。だんだん求めるものが高くなってきている気がします。

「病気」と「健康」の間に、「体調不良」というゾーンがある

ネットなどで調べると、「こういう症状ならこういう病気が考えられる」という情報がありますよね。「病気があるはずだ」という確信を持っている患者さんもいるんですが、症状がある・イコール・病名がある、というわけではないです。病気がなくても体調不良だというゾーンがあるんですよ。もちろん、患者さんは嘘をついているわけでも仮病でもなくて、たしかに健康なゾーンからは出ている。だけど病名がつくゾーンに至っていないという、その帯が結構太いんだと思います。

病名があると分かるケースは、実はそんなに多いわけではありません。「症状はあるけど診断がつかないというのは結構よくあることですよ」という説明をすることが多いですね。

症状が解決されない結果起こること

社会の変化が医師との関係性を変える?

個人的には、インターネット上で質問できるサイトが意外と威力を発揮していると思います。そっちを信用している患者さんも多いですからね。「先生、ネットにこう書いてありました」「いやいや、僕お医者さんなんですけど、しかも本物の」みたいな(笑)。本当に大真面目に心配して来る人もいますからね。だから、最初にやることは、こういう検査をしようとかじゃなくて、よく話を聞いて、どういうところが辛くて、どういうところが納得いかなかったというのを診察の一環として聞く。本当に、カウンセリングに近いです。

最近は、ベテランの先生でも、例えば言葉遣いが悪かったら嫌われる傾向にあるんですよね。若い医師でも割と丁寧に、優しく接する先生の方が好まれたりする。結局、医療の実力よりも丁寧なだけの方が好まれるんだ、みたいに思うことはありますけど、患者さん側がそれを求めているのも現実です。病気が変わってきているというよりは、考え方とか社会の変化とか、そういうものを感じます。

医療技術の進歩が見つける”病気ではない”異常

あとは、医療の技術の進歩もあると思います。本当だったら病気としないものを異常として拾い上げてしまう検査ができてしまった。MRIとかで、単なる動脈硬化みたいなのを「隠れ脳梗塞」とするような感じです。元気なのにMRIは異常となると、患者さんも怖いじゃないですか。お医者さんに「異常がありますけど大丈夫ですよ」と雑に説明された患者さんは、別のところへ「異常って言われたんですけど」とその画像を持って受診してしまう。そういう医療の技術の進歩にも振り回されているなと感じます。

真面目な先生ほど、診断にこだわってしまうことも多いんですよ。患者さんが症状を言っているんだから、病気があるはずだと思って「とりあえずMRIをやってみよう」とか。そのお医者さんの最終的な意図は、これだけ検査をして「異常なし」となれば患者さんも分かってくれるはずだという、真面目な思いです。それですごく喜んで納得する患者さんもいるんですが、肝心の症状が良くならないと、そこでまたすれ違ってしまいます。「じゃあ先生、これだけやっても分からないものってなんですか」みたいな感じで。当初の先生の予定では「これだけやれば、例え病気がなくてもホッとしてくれるはず」と思ったのに、全然納得しない。

本当は、もっと早い段階で症状に目を向けてあげれば良かったんですね。でも、その先生がなまじ不真面目でないだけに、問題としては根が深いと思います。

「医療」の考え方は、日々変化してきている

國松先生-写真

豊かな社会=ちょっとした症状が気になる社会

僕はこれは、結局は社会が豊かになってきたんだと思うんですよね。極論ですけど、今が戦争中だったり、貧しい社会だったりしたら、まず生きていくのに必死で。伝染病にかからないようにするとか、怪我したらそれを手当するとか、そういう方が優先されるじゃないですか。豊かだから、今のこの生活をより良くしたい。QOLって言いますよね。死ぬ・死なないももちろん課題としては大事なんですけど、より良いコンディションでいたい。患者さん、国民の求める水準が上がっているんです。

僕は当然、豊かな社会を希望します。患者さんが豊かな生活を望むのは避けられないんだと思います。お医者さんだけが割と「こんな軽症で病院に来ちゃって」みたいな感じで揶揄したりしちゃうわけですけど、これはお医者さんがそろそろ腹をくくる頃なんじゃないかな、とは思っています。

いきなり大学病院を受診する患者さんが増えている?!

ただ、テレビやインターネットで、高度な医療などが割と派手なものとして取り上げられるので、どんどん…いわゆる普通の人たちが高いレベルの医療を求めてしまうという。それで今問題になっているのが、かかりつけ医やクリニックに行くんじゃなくて、いきなり高度医療センターとかに行ってしまう。そういう、患者さん側の受療行動の不適切性というのがちょっと問題になっています。

患者さんの求める医療のレベルが、本当に上がっていると思いますね。僕らからみたら病気じゃないような症状に困って来るっていうのは、社会がそうさせているんだと思います。

東洋医学の教えに学ぶ「症状」との向き合い方

今までだったら良い意味で無視したり、様子を見ていたりしたような症状に、患者さんもお医者さんも割とこだわりはじめている。だから話を戻すと、「診断はつかないけど症状はある」というゾーンを認めた方がいいんです。でも、それって原点回帰みたいなところがあって。

漢方や東洋医学の考えは、そもそも症状をみるものです。原点回帰なんですよね。「少しでも患者さんの症状を良くしよう」という漢方の考え方と、「病気ではないが症状がある」という人たちと、そこで現在と過去が出会うようなところがあって。だから漢方のような考え方は、「診断にこだわらない」っていう考え方にはすごくフィットする考え方だと思います。漢方を極端にやるっていうよりは、漢方と西洋のそういう考え方をミックスさせるのが良いんじゃないかとは思いますけど。患者さんの方にも「そういう状態がある」というのを分かってもらえると溝が埋まるかなと、個人的には思います。

編集後記

患者さんと医師、どちらも「症状を良くしたい」「悩みを解決したい」という思いは一緒です。しかし真面目に考えすぎた結果すれ違ってしまうケースが増えているといいます。これはもちろん、「お医者さんが悪い」「患者さんが悪い」という話ではありません。時代や社会の変化に伴い、私たち患者側も「病気ではなくても症状がみられることがある」と知っておく必要があるといえるでしょう。

國松淳和先生のインタビュー、後編では、先生の取り組みや診療の実際を交えつつ、医師と患者の関係性や在り方を探っていきます。