「障がい者の性の健康」の第三回は、「知的障がい者の性への対応」です。知的障がい者はコミュニケーションにおける障がいを抱えることが多く、接し方に戸惑う保護者の方も少なくありません。
性教育をおこなう際に、保護者・教育関係者にはどんなことが求められているのでしょうか?また、こうした問題にある日突然遭遇した場合、周囲にいる人はどんな行動をとるべきなのでしょうか?(いしゃまち編集部)
かゆいからおちんちんを触るんです
「息子がおちんちんをよく触るのですが、やめさせる方法はありませんか」とよく聞かれます。知的障がいをもつお子さんだけではなく、健常の小さなお子さんでも同じような質問を受けます。ほとんどの場合、お子さんはかゆいから触っていると考えられます。男の子のおちんちんはほとんどが包茎で、ちゃんとむいて洗っていなければ包皮内が不潔になり、かゆかったり、痛かったりするのです。かゆみや痛みを感じると、自然と手がおちんちんを触ってしまいますので、清潔にしておけばいいだけの話です。
生まれた時から体を清潔に
小児科医の先生方にこそ、「生まれた時から体を清潔に」という言葉の意味を考えていただきたいと思います。知的障がいの有無が明らかになるのは、ある程度身体的に成長してからです。ところが、ある程度大きくなってから包茎をむくことや、包皮をずらして亀頭部を露出して亀頭部や包皮の内側をきれいに洗うことを教えようとしても、亀頭部を触られるだけで痛かったり、包皮と亀頭部の癒着をはがすのが痛かったりするため、清潔を保てないお子さんたちがいます。さらに痛みのためマスターベーションが満足にできないお子さんもいます。
私が生下時からむきむき体操をする必要性を強調しているのは、知的障がいが明らかになったときに、既におちんちんの清潔とむいて排尿することが常識になっていれば、本人も保護者も苦労をせずにすむからです。
できる人が、できることを、できる時に
「知的障がいを抱えている人たちに対する性教育をして欲しい」と依頼されることが少なくありません。そう依頼してくる方々の多くは「正しい知識」を伝えて欲しいと考えておられますが、「正しい知識」だけではだめだということを繰り返し強調しておきたいと思います。このことは、知的障がいを抱えている人と接する保護者、教育関係者、施設の職員等に、特に伝えたいことです。
一方ですべての方々には、ぜひとも知的障がいを抱えている人達が直面する問題を、事実を知っていただき、自分がそのような状況に接したときは、躊躇することなく、自分ができそうなことをタイムリーに実施していただければと思います。
『できる人が、できることを、できる時に』
「ダメ、絶対」を繰り返し伝える社会を
これは実際に岩室が経験したことです。皆さんがこの状況に遭遇したらどのように対応しますか。
それほど混んでいないバスに乗り合わせたとき、知的障がいと思われる男性が、どうも彼が気に入っている女性の横に体を寄せるように立ったところ、女性は嫌がってバスの中の別のところに移動しました。ところが彼は追っかけるように彼女のそばに、触るでもなく、寄り添うように移動してピタッと横に立ちました。
知的障がいの彼はただただ「好みの女性」の横に立っただけでした。もし岩室紳也が彼の立場だったら、女性には悟られないように、顔や姿を相手に気づかれない程度の距離のところで、自分を満足させたことでしょう。しかし、彼は素直に、思うがままの行動に出たあまり、「好みの女性」に嫌な思いをさせてしまったのです。
あなたなら言えるでしょうか。「ダメでしょ。彼女は嫌がっているよ。君はこの人を素敵な人と思っても、あなたのことを知らない女性にとっては、男がそんなに近くに寄り添ってこられると怖いと感じるものです。ごめんなさい、と謝りなさい」と。そう言われれば知的障がいの彼も、自分がとった行動が反社会的なものだということがわかるはずです。
知的に障がいがあるお子さんに対して、親のみならず、周囲が「正しい知識」だけではなく「社会が認める行動とは何か」をも繰り返し伝え、教え続けることで身につくのが排尿、排便、食事といった生活習慣です。その結果、社会性を身に着け、社会で受け入れられるようになります。先の話の彼の場合、おそらく同じような行動をこれまでも取っていたかもしれませんが、残念ながら、そのような行為は女性が嫌がることだと周囲が教えてくれなかったのでしょう。女性が嫌がっているということを彼に繰り返し教えてくれる環境があれば、彼はそのことを理解し、反社会的な行動をしなくなれたかもしれません。
知的障がいの方は確かに、コミュニケーションの面で健常者とは異なる配慮が必要になることがあります。しかしこうした知的障がい者のコミュニケーションにおける特徴は、反社会的な行動をする理由にはなりません。先の話の場合でいえば、「彼が知的障がいだから反社会的な行動をしてしまう」のではなく、「彼があるふるまいを悪いことと知らないから、結果的に反社会的な行動をしてしまう」のです。そしてこれは、知的障がいだから相手が嫌がることをしても仕方がないと、誰も彼に教えることをしなかった環境が原因といえます。
周囲が「知的障がい」を抱えている人の「個性」を理解し、かつ、その「個性」が故のトラブルを回避するために、周囲に何が期待されているかを考えなければ、「個性」を抱えている人ほど学習する機会が得られなくなり、最終的にトラブルに巻き込まれるかもしれません。
知的障がいと男の性欲、性衝動
知的障がいも程度によって性的成熟や性的なことへの関心、性欲、性衝動の度合いが異なります。健常者でもよく「発達段階に応じた性教育」ということを言いますが、当然のことながら同じ年齢であっても個人差はあります。もちろん、健常者でも性的なことに関心を示さない人もいます。
大事なことは、性的なことへの関心の度合いに個人差があることを知った上で、本人が性的なことへの関心を表現するようになったら、そのことで社会的に困らないよう、周囲が適切な対応をとることです。何より、知的障がいを抱えていても、一人ひとりなりの性欲があることを理解し、それを認め、体感できるようにフォローすることが大事になります。
男の性欲は「興奮→勃起→射精→満足→おしまい」といっても、健常者であれば、実際には「想像→興奮→勃起→想像→射精→満足とむなしさ→おしまい」という様々な思いが交錯します。しかし、知的障がいを抱えている人の場合、「興奮→勃起→射精→満足→おしまい」という状況をあくまでもプライベートゾーン、すなわち自室やトイレ、お風呂等で済ませ、精液の処理も排尿、排便と同じように自分で処理をすることを伝えるというフォローが大事になります。
いつ、誰が、どのように伝えるかについて、保護者、関係者で常に考え続けることが求められています。
『できる人が、できることを、できる時に』
ネットに刷り込まれる「誤った性意識」
ネットによる誤った性意識の問題は、知的障がいを抱えている人たちだけの問題ではありません。しかし、知的障がいを抱えている人の場合は特に、インターネットのトラブルをどう未然防止するかを事前に考えておく必要があります。もちろんすべての情報から遮断することで、トラブルを未然防止する考え方もあります。しかし、それはあまり現実的ではありません。では、どうすればいいのでしょうか。
現実的な方法として、他の性の問題と同じで、本人に何が正しいのかを理解してもらうため、そのような情報に接しているということが確認されたら、その場で一緒になって見て、「これって変」や「実際に行動に移してはダメだよ」と繰り返し伝え続けるしかないと思いませんか。
褒められてうれしいから
性風俗産業に、軽度知的障がいの女性が数多く働いているということをご存知でしょうか。性風俗産業で提供されているサービスは様々ですが、そのようなサービスを見も知らない他人に対して提供することについて、抵抗を感じない人もいます。そのような価値観をもっている人にとっては、「だめ、ゼッタイ!」という社会的なプレッシャーを継続的に受けていなければ、アルバイト感覚でそのようなサービスに従事しています。健常者の大学生のなかにも、そのような人が少なからずいるようです。
さらに、対価として一定の、それもそれまで入手したことがないある程度高額の金額を手に入れることができ、かつサービスを提供する相手が喜んでくれるのであれば、自己肯定感が高まり、承認欲求が満たされていても何ら不思議ではありません。すなわち、「だめ、ゼッタイ!」と教えるだけではなく、本人の自己肯定感や承認欲求に働きかける手段を考え、提供し続けることが求められています。
性被害防止の観点から
前述のように、性風俗産業に従事することになった知的障がいの女性は、ある意味、反社会的な、性的な仕事に従事させられた被害者といえます。また、性風俗産業に従事するということだけではなく、様々な形で、周囲の人たちから性的搾取や被害に遭うこともあります。しかし、本人が被害に遭っているということを理解していなかったり、逆にそれまで経験できていなかった収入を得たりといったことから、彼女たちが被害者になっているという問題が表面化しない場合があります。
男の子が男からの性被害に遭うことも、当然のことながらあります。実際、特別支援学校の先生から「下着に肛門部からの出血を認めた生徒がいる」という相談を受けたり、知的障がいを抱える男の子がHIVに感染したりするというケースがありました。
このようなトラブルを防止するため、「プライベートゾーン」すなわち水着等で隠される外陰部や乳房等を他人に見せたり、触らせたりしないことの大切さを伝える性教育が行われています。このような性教育ももちろん大事なのですが、何より必要なのは、一人ひとりが経験していることを、お互いに言語化し、共有できる環境を構築することです。このことこそが、いま、障がい者の性に関わる一人ひとりが考えなければならないことだと思っています。
「性」に関することは確かに口にすることがはばかられる側面もあります。しかし、「臭いものには蓋を」という姿勢を取り続ける限り、残念ながら性被害を防止することは難しいと考えています。
「人は経験に学び、経験していないことは他人ごと」です。知的障がいを抱えている一人ひとりが、残念ながら経験してしまったことを無駄にしないためにも、「そのことはね、本当はしてはいけなかったことなんだ」と学ぶことができる環境を一歩ずつ構築したいものです。
確実な避妊のために
障がいの有無に関わらず、一人ひとりが性生活を営む権利があります。かつてとは異なり、最近はそのことへの理解が進み、知的障がいがあっても特定のパートナーとの性生活を営むことへの理解が得られる場合があります。ただその際に、妊娠、出産、さらには育児までのサポートはできないということで、確実な避妊が求められることがあります。
もちろんコンドームや避妊用低用量ピルの確実な使用が可能であれば、そのような選択肢とその選択へのサポートを考えてください。一方で、コンドームや避妊用低用量ピルの使用では、100%避妊するには十分とはいえません。そこで、本人たちが望むのであれば、男性がパイプカット(両側精管結紮術)を受けることで、避妊を確実にすることも可能です。
手術は局所の麻酔で実施可能で、精巣で作られた精子が尿道の方に運ばれる通路である精管を切断したうえに、断端を反対方向に折り曲げて結紮します。さらに、それをただ元の場所に戻すだけではなく、皮膚の下に戻す際に、戻す層を違えることで再癒着を防止します。
この手術は精液の中に精子が出てこなくするだけで、精液の量は変わらないため、射精したときの感覚は手術前と変わりません。さらに、将来的に妊孕能(にんようのう:妊娠できる力のこと)の回復を希望した場合、100%大丈夫とは保証できませんが、再開通の手術をすることも可能です。
図 3:精管結紮術
もちろん女性側の避妊方法として両側卵管結紮術というのもありますが、手術の侵襲が大きいことを考えると、男性側の手術の方が負担は少ないと言えます。
Sexual Health and Rights
手術による避妊、不妊という選択に対しては常に人権問題が取り上げられ、行政による過去の強制的避妊手術の実施が問題視されています。このことはきちんと事実関係を把握し、問題点を明らかにした上で反省すべきと考えています。
ただ、今頃この問題が出てきていること自体、日本がSexual Health and Rights、性の健康と権利に関する後進国であることを表しています。「性」を秘めごととするのではなく、「健康」と「権利」という視点から議論を繰り返すに当たって、実は「健常」より「障がい」という切り口の方が様々な課題を的確に捉えられることを改めて確認しておきたいと思います。
編集後記
「言われたことは一度で覚えることが基本だ」という考え方もあります。しかし、知的障がいをもつお子さんに限らず、言ったことを一度でできるお子さんは少ないでしょう。
お子さんが自分から「必要だから行動しよう」「これは間違っていると思うからやめておこう」という思いに至るまでには、ある行動がどんな意味を持つのかという知識に加えて、ある行動が周囲からどんな評価をされるのかという実感をともなった経験が必要です。そのためにも、保護者の方だけではなく、周囲が繰り返し繰り返し伝える環境が重要です。
次回は、「身体障がい者の性への対応」です。