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「手を離す」まで、一緒に答えを探す

―お話を伺っていると、こころのケアを行う上で、重なる範囲があることは大きな強みだなと思います。その中でも特に「心理」を軸としているのがリエゾンチームだと思いますが、医師と心理士の役割分担はいかがでしょうか。

こちらも、はっきりと分かれているわけではありません。ただ、私たち心理士は診断を下すことはできませんし、お薬を出すこともできないので、そこは医師にお任せします。

お子さんやご家族との相性もあります。たとえば「男の先生は苦手」とかですね。自分の心のデリケートな部分を一緒に扱う相手なので、相性は意外と重要です。

私は、心理士は患者さんにとって鏡のような存在なのかもしれないと思っています。お子さんにしろ親御さんにしろ、私たちを鏡として使って「自分が今何を感じて、何がつらいのか」に気づいてもらうのです

たとえば、「こんなにつらい思いをするくらいなら消えてしまいたい」という思いを持つ親御さんがいてもおかしくありません。「治療に取り組む先生に失礼だから」と言わない(気持ちを押し殺してしまう)人もいます。でも、口に出さないからといってその気持ち自体が存在しなくなったわけではありません。どこかの段階で、「自分は今、そういう気持ちを持って生きている」「それでも頑張っているんだ」という事実と向き合わないと、先に進めないのです。

そういう思いと向き合う作業を、時間をかけて行っていきます。私たち心理士は、「こうすればいいよ」と答えを出してあげることはできません。でも、「私は本当はこう思っているんだ」とその人自身が分かったら、次の段階として「じゃあ、それを抱えてどう生きていこうか」その人なりにどんな答えを出すのかを一緒に考えることはできると思います。ゆれる気持ちに丁寧に寄り添えたらと思っています。

―問題や答えを突きつけるわけでも、根掘り葉掘りするのでもなく、自分で気付くことができるように支援するのですね。

そうですね。かと言ってずっと黙っているわけでもなく、ツンツンと突きはするんです。「こういうことかな?」と聞いてみたり、言っていることと表情とが違うことに気付いたら「口ではそう言ってるけど、本当にそう思ってる?」と言ってみたり。そうすると、また自分を見つめ直して考えてくれるんです。

病気になってしまった後の人生をどう生きるか、ということに答えはありません。でも、みんな人生の節目ごとに何らかの答えを出しながら生きていくのだと思っています。そのときに私たちをうまく使ってほしいと思います。

子どもたちは、いずれ病院を出ていく存在です。だから、どこかのタイミングでちゃんと手を離すのも私たちの責任です。

私は、「心理士さんのおかげです」と言われるのはちょっと失敗だなと思っています。時間はかかりますが、子ども自身がたくさん考えて、悩んだうえで「すごく大変だったけれど、こうしようと思ったんだ」「自分で決めたんだ」と、私の存在を忘れてくれるのが一番の理想です。

でも、「しんどかったとき、誰だか覚えてないけど寄り添ってくれた人が家族以外にもいたな」とぼんやりとしたイメージとして残ってくれたらいいなとも思いますね。この先なにかにつまずいたとしても、「あのときも助けてくれる人がいたから、今回も大丈夫だろう」と思ってもらえたら嬉しいです。

―最後に、小児がんについて、伝えたいことがあればお聞かせいただければと思います。

「“病気”イコール“その子”ではない」ということと、「ちょっと大きい学校や職場であれば、1人はサバイバーがいる(珍しくない)ということを知っていただきたいです。

病気をした時間は、その子の人生の一部でしかありません。見るべきところはほかにもたくさんあります。それは大人にも、子どもたちにも伝えたいことですね。

編集後記

自らを「黒衣」に例える松元さん。子どもたちをゆったりと見守り支えつつも「自分で決める」ことを促す姿は、目立たなくとも無くてはならないものだろうと思いました。「病気」ばかりを見てしまいがちな医療現場だからこそ、子どもたちのこころを支える役割は欠かせないものと言えるでしょう。

次回はこころの診療部医師・田中 恭子先生のインタビューをお届けします。

※取材対象者の肩書・記事内容は2019年2月26日時点の情報です。