ハンセン病についての正しい知識を持っていますか。現代の社会ではハンセン病は完全に治る病気となりましたが、患者さん、元患者さんに対する偏見や差別が今も国際問題として残されています。ハンセン病に関する理解を深めるために、今回は歴史や治療方法について解説します。

ハンセン病の症状や原因については、「正しく知っておきたいハンセン病。その症状と原因は?」 をご覧ください。

目次

ハンセン病の診断

ハンセン病は、一般の感染症として大学病院や一般病院皮膚科外来で外来治療を行っています。ハンセン病療養所に入所する必要はありません。ハンセン病の診断は、問診では出生地(国)、小児期生活歴、家族歴などを聞き、皮膚の症状、触覚、痛覚、温度覚、運動障害などの神経の所見、らい菌の証明などを総合して行います。他の病気と同じように保険診療の対象となります。普通の感染症なので保健所や都道府県に届ける必要はありません。

ハンセン病の治療法

ハンセン病の治療は、早期診断・早期治療を心がけて原因菌を殺し、菌に対する身体の免疫反応を押さえ、合併症や後遺症を予防することを目的に進められます。ダプソン、リファンピシン、クロファジミンという3種類の抗生物質を内服する治療が行われます。このことをWHOでは薬を組み合わせて使う多剤併用療法(Multidrug Therapy; MDT)と呼んでいます。経口薬のため日常生活での管理が易しく、安全で病気の再発率も低い治療方法です。

薬は6か月単位のパックで処方されて、半年から一年間内服を続けます。内服を終えると治癒すると判定するので、ハンセン病は現代では完全に治る病気となりました。投薬を始めた直後から感染力がなくなるので、患者から周りの人に病気が感染することはありません。

ハンセン病の歴史と差別

ハンセン病2-写真

上記で述べたように、ハンセン病は治る病気ですが、不治の病として誤解してしまっている方も多くいるようです。
その背景には、政策によって隔離されてしまっていた歴史があります。

ハンセン病は、古代中国の文書、紀元前6世紀頃のインドの古典、キリスト教の聖書など多くの古い文書に記述が残っています。日本では、8世紀頃に作られた日本書紀にハンセン病に関する記録が残されています。この病気にかかると、仕事ができなくなり家の離れや奥でひっそりと隠れて暮らしていました。家族への迷惑を心配して、放浪の旅に出る患者も現れるようになりました。

明治時代に入ると、諸外国から患者を放置しているという非難を浴びたために、「癩予防に関する件」や「癩予防法」の法律が制定されて、患者を療養所に入所させて隔離政策がとられるようになりました。このため、ハンセン病は伝染力が強いという間違った考えが広まり偏見を大きくしたと言われています。医師や患者によって強制隔離に反対する声も上がる中、「らい予防法」が制定され、ハンセン病患者の強制隔離政策と人権の侵害は続きました。海外では、1873年にノルウェーのアルマウェル・ハンセン医師がらい菌を発見したので、“ハンセン病”と呼ばれるようになりました。

ハンセン病の感染力は弱く、ほとんどの人はもともと免疫を持っているので、“感染力の弱い感染病”とも言われることもあります。しかし、社会の誤解や根拠のない恐れなどから、ハンセン病にかかった人たちは、自由を奪われ社会から疎外された環境に隔離されてきました。1996年に「らい予防法」は廃止されたものの、入所者は高齢になっておりハンセン病の後遺症によって身体障害を持つ人も多く、また社会では偏見や差別が残っていることもあり、現在も多くの人が療養所で暮らしています。

2001年にはハンセン病問題の保障を行う法律が制定されて、国が患者と元患者に対して謝罪をしました。現在も名誉回復と社会復帰支援策が進められています。

まとめ

ハンセン病は、問診や皮膚の症状、神経の症状、らい菌の存在などによって総合的に診断されます。治療法も確立されており、抗生物質を定められた期間内服することによって完全に治るようになりました。しかし、長い間行われていたハンセン病患者の隔離政策のために、社会では偏見や差別が残されてしまいました。療養所で暮らす患者や元患者は高齢や偏見等のために、今も安心して療養所の外で暮らすことができないでいます。国はハンセン病患者や元患者の名誉回復と社会復帰支援策を進めています。