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難病に冒された患者さんを支援する人と聞いて、どんな方を思い浮かべるでしょうか?ご家族や医師、看護師、ヘルパー、ソーシャルワーカー…様々な人たちが挙がるでしょう。実際の支援者の中には、身内や専門職でなくても、患者さんと深いつながりを持つ方たちがいます。

JR新大阪駅(大阪市淀川区)から歩いて8分ほど離れた「バーキース」でマスターを務める山本照彦さんと妻の三奈子さんは、10年以上親交のある瀧岡美佐さん=仮名=が神経難病「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」と診断されて以降、身の回りのお世話などをしています。

「長年付き合いがあり、お世話になった人だからこそ」とサポートする一方で、ALSの現実を知り、不安や自分たちの限界も感じています。それでも彼女と社会をつなぐ会を企画するなど、患者さんを支え続ける2人の思いを紹介します。

「感謝の気持ちとほっとけない思い」からサポートを決意

山本さん夫妻と瀧岡さんの親交は、10年ほどになります。瀧岡さんはバーの掃除を担当したり、お店の看板や名刺、コースターなどをデザインしたりしてきました。

2人が瀧岡さんの異変に気付いたのは2016年の春ごろ。瀧岡さんは日頃からお客としてもバーを利用していて、先に別のお店で飲んでから寄るのが日課でした。その日もいつものようにバーを訪れたのですが、照彦さんが話してみると瀧岡さんのろれつは回っておらず、しどろもどろの状態だったのです。「お酒の飲み過ぎでは」と指摘すると、瀧岡さんから「今日は飲んでいない」と返されました。

照彦さんは「何か取り繕っているのかな」とあまり気にしませんでしたが、その後も会って話すと瀧岡さんの言葉がうまく出てこなかったり、聞き取りにくかったりしました。心配になって病院に行くよう促し、瀧岡さんはいくつか病院を受診してみましたが、すぐに診断は確定しませんでした。

そうした中その年の9月、三奈子さんのLINEに瀧岡さんから「やっぱりALSだった」というメッセージが届いて、2人は病気を知ることになりました。三奈子さんは「きっと(病気について)色々と自分で調べていたんだと思います」と当時の瀧岡さんの心中を慮ります。

打ち明けられたとき、2人ともALSについて、ニュースや漫画を通して「10万人に2~3人の発症率」「意識はハッキリしているが筋肉が徐々に動けなくなっていく」という認識はありました。それでも当時、目立つ症状はろれつや発話の部分だけだったので「できることはやっていこう」と引き続き瀧岡さんにバーの掃除を担当してもらっていました。しかし、彼女の症状はみるみるうちに進行。高所を掃除したりバーに並ぶ椅子を持ち上げたりすることができなくなり、カートで支えないと歩行も難しくなっていきました。

17年の夏を過ぎたころには食物などが気管に入ってしまう誤嚥が起き、自力で家から出られなくもなりましたが、瀧岡さんには「できる限り一人暮らしを続けたい」という希望がありました。隣町にお兄さんは住んでいましたが、家庭や仕事もあって頻繁には訪れられない状況でした。2人はその希望を聞いていて、「10年以上バーに勤めてくれた感謝の気持ちと、何よりほっとけない」という思いから支えていくことを決めました。

ALSの患者さんの現実を見て

瀧岡さんの自宅はお店から徒歩1分ほどの場所。女性の一人暮らしなので、身の回りのお世話は三奈子さんが担当し、力仕事のときは照彦さんも協力しています。三奈子さんはヘルパーの訪問日などを考慮して週3~4回、夕方に部屋を訪れ、ヘルパーが準備してくれた食事の提供、排泄処理、薬局での薬の受け取り、瀧岡さんが飼っているネコの面倒を見るなどしています。「バーの仕事もあるけど本人の『一人で暮らしたい』という意思があるので、できるんだったら(支えていく)」と三奈子さんは語ります。

サポートしていく中で、不安を感じることもあります。瀧岡さん宅に訪問予定がなかったある日、瀧岡さんから「助けて」とメールが届いているのに気付きました。駆けつけてみると瀧岡さんは倒れて自力で起き上がれず、そのままの状態でした。照彦さんは「同じようなことがあったとき、もし手を動かすことができず助けを呼べなければ…」と心配を口にします。日頃からご家族と連絡を取っているとはいえ、「万が一」が起きたとき、どう対応すればいいかという悩みも抱えています。

一人暮らしを支える公的補助が足りないこと、また今後のために施設を検討しようにもなかなか見つからないなど、難病の人を支える制度の問題にも気付かされました。また、病気を調べていく中で治療法がない事実を知り、バーをよく利用する医療関係者にALSについて尋ねてみたときに「みんなALSと聞いて表情を変えるんです」(照彦さん)という反応も感じました。

実際に瀧岡さんをサポートしていく中で今、ALSについてどう思っているのか。その問いに対し、照彦さんは「残酷な病気だと思います」と率直に打ち明けます。ALSに対して様々な思いを抱きながら、それでも2人の「彼女を決して見捨てない」という思いは変わりません。患者さんと介護者という関係でなく、これまで通り尊重するところは尊重する、ダメなことはダメと言う対等な立場で接して「仲間」という意識を大事にしています。

社会から孤立させないために

瀧岡さんがデザインしたバーキースの看板

瀧岡さんがデザインした「バーキース」の看板

ALSになってしまうと、顔の筋肉も動かなくなっていくので表情が読み取りにくく、これまで通りのコミュニケーションは難しいのが現状です。それでも照彦さんたちが大事にしているのは、「彼女を社会から孤立させない」ことです。

18年1月28日、お店で山本さん主催の「瀧岡さんを囲む会」が開かれました。彼女が今どういう病気なのか他の方に伝える機会を、そして「みんなから忘れられていないというメッセージを彼女に届けたい」と企画しました。

昔とは違った姿を見られることに抵抗感があるのではと危惧しましたが、瀧岡さんは「嬉しい。みんなに会いたい」と喜んでくれました。会当日、瀧岡さんの親類や彼女をよく知るお店のお客さんなど総勢20名が出席し、約3時間、お酒を酌み交わし、タブレットを使いながら彼女とコミュニケーションを取りました。会は盛り上がり、帰り際には参加した方から「もう1回やりたいね」と声が上がるほどでした。

「彼女と向き合っていくと決めた以上、ALSについて知ってもらうことも大切」。瀧岡さんデザインのメニュー板やコースター、そしてお店の表にある看板など、仲間である“証”に囲まれながら、2人は「忘れられない」経験を、できる限り続けていくつもりです。

取材後記

難病の患者さんをサポートしていくには、行政機関の働きが欠かせませんし、大前提はそこだと思います。しかし、現実として、手厚い保護を全員が受けられる状況ではありません。そうした中、身近な人からの支えは、貴重なものだと感じます。

山本さんご夫妻のようなサポートを誰もが実現することは難しいでしょう。それでも、「社会から孤立させない」「みんなから忘れられていない」というメッセージは、同じ社会の一員として、決して欠かすことはできません。身近に支援を必要とする方がいれば、できる範囲で手を差し伸べていく重要性を今回の取材で感じさせられました。

※記事内容は2018年3月26日時点の情報です。