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終末期からその後にかけて、医師ができること

―三つ目の「終末期」についてお聞きします。ターミナルケアが迫ってくるとき、お子さんには「終わりが近づいている」ことは伝えるのでしょうか?

日本人の成人を対象にした大規模な研究では、自分の予後について30%程度の人が「具体的に知りたい」、30%は「大まかに知りたい」、残りの30%は「知りたくない」と答えている、という報告があります。だから、医療者が必ずしも伝えなければいけないということではなくて、本人の意向をきちんと確認することが大切だと思っています。

僕は成育に来る前、成人の緩和ケアをやっていた頃にも10代や20代の若い患者さんの死に立ち会う機会が何度もありましたが、少し予後が悪くなってきた頃、結構早い段階から「主治医ではない立場」として本人にそういうことを聞いていました。「聞きたくない」という時はそれでいいし、話の流れの中で「“何%”までは知りたくないが、だいたいのことは知りたい」とか、「詳しくは知りたくないけど、あまり時間が残されていないことは知りたい」とか、「自分は本当のところを全部聞きたい」という子もいます。そういうことは、できれば病態がとても悪くなる前に聞いておきたいことですね。

残された時間が1週間や2週間になると、その頃は状態や意識レベルも落ちてしまいますし、そんな時期には聞くこと自体も憚られます。予め意向を確認しておけば「あの時はああ言っていたけれど、今でも変わっていない?」というところから話を始めやすいので、事前に聞いておくことがとても大事だと思います。

 

―終末期のターミナルケアでは、どのような対応をしていきますか。

最近、がん患者さんを自宅で看取ることが増えてきています。がんは比較的、看取る時期が明確です。治療ができなくなったところが一つのサインになりますし、亡くなる1、2ヶ月前にADL(食事や排泄その他の日常生活動作)ががくっと下がることが特徴だといわれていて、それは小児でも同じだと思います。

ADLが落ちてくることは、家族でも認識しやすいです。そこで「じゃあどうするか」という話し合いをすると「家に帰りたい」という方が結構いらっしゃるので、そこまでの間をうまく繋いでいきます。

もともと自分が住んでいた家では、穏やかに過ごせるメリットは大きい一方、医療からは遠くなります。特に子どもの場合、意思をちゃんと伝えられない部分があるかもしれないため、きめ細やかなケアは難しくなるかもしれません。成人に比べ、小児の医療は手厚いことが多いため、在宅だとそのギャップを感じることは多い気がします。どちらがいいと一概に言えるものではありません。

子どもが亡くなるのは、家族にとっても受け入れがたいことです。何もせずに亡くなるという選択肢は取りづらい部分があるので、その辺りで成人とは違うやり方があるかもしれませんね。

 

―亡くなった後のケアについて、どのようなことに取り組んでいるかお聞かせいただけますか?

これはがん領域ではまだ始めていませんが、亡くなった後にご家族が連絡できるようなカードを渡しています。ご家族から面談の依頼をいただいて、親御さんがお子さんを亡くしたつらさを、お話を伺いながら寄り添うことを行っています。

僕が行うのは、うつのスクリーニングです。ご遺族の10%ほどが病的なうつを発症すると言われているので、そういった症状が出ていないかと確認することを行っています。

ただ、病院ができることは限られているのではないかと考えています。例えば8歳でがんを発症したお子さんが10歳で亡くなったとしたら、病院で診ているその子は2年間だけです。その子には、その前に8年間の経過がある。すると、亡くなった後のケアは、その8年間に繋がっていた人たちにもできることがあると思うのです。だから、病院としては最低限すべきケアと、そこにご家族がアクセスできるような体制を作っておくことが大事だと思います。こちらからではなく、いつでも来ていただけるような体制ですね。

一方、NICU(Neonatal Intensive Care Unit:新生児特定集中治療室)で亡くなられた小さいお子さんでは、生まれてから一度も外に出られないケースがあります。すると、その子を知っているのは医療者だけである可能性が非常に高いのですよね。そういう場合に病院が果たす役割は、8歳で病気になった子とは少し違うかもしれません。

 

―最後に、先生が「小児がん」について伝えたいことがあればお聞きできればと思います。

子どもの全体像を考えると、僕達が見ている「医療」というのはあくまで一側面だと思っています。その子が社会の一員として生活していく時に、社会の人たちも含めて、お互いに手を差し伸べられたらいいなと思っています。

学生の時に自分が関わった子どもが亡くなる瞬間に立ち会い、その子が一生懸命生きてきた証を濃縮した時間の中で、命の大切さを強く感じました。それを社会に伝えていくことで、今度は社会の中で、命の大事さや当たり前に生活できることの大切さをフィードバックできるような仕組みが作れたらと思っています。

病気の子どもたちも、社会に対して何かできることがあると思うし、逆に社会も子どもたちにできることがある。病気の子どもは決して弱い存在ではなくて、社会の中に存在する価値があるということを伝えていきたいです。

編集後記

「病気の子どもたちを一方的に可哀想と思うのではなく、双方向に支援し合えるようにしたい」と話した余谷先生。現在、病気の子どもと社会とが繋がり合えるような仕掛けを考案中とのことです。単に子どもたちの病態や症状だけを診るのではなく、生活や人生のことまで考える姿は、まさに“Life”を支えているものなのだろうと感じました。

次回は、歯科医師・金沢 英恵先生のインタビューをお届けします。

※取材対象者の肩書・記事内容は2018年1月31日時点の情報です。